茨城

茨城についてのメモ

北関東のいちばん海よりの県。気質がだいぶ違う。県北は海沿いの日立、中央部の常陸太田、山沿いの常陸大宮。中央部は海沿いの大洗、那珂湊、阿字ヶ浦でそれぞれ人の雰囲気が違います。笠間藩のほうが力があったように思うし石岡が府の中心だった時代も。県西県南はなじみがないのでなんとなく把握。

水戸市内バス路線の謎 本町経由の理由 水浜線と茨城交通の関係

需要と書きたいのバランス。普段使う言葉で考えること。作ることを先に。直しはあとで。

道路と駐車場

来る人のため

ケーズ電気本店の道路について

三車線 北側は市道?角が狭い 交差点はチョッカクではない事故多発ポイント歩道橋から飛び降りる人あり本店は以前本町にあり 駅南店 本店 もともとなにもない森 吉田村の陸軍飛行場に近い いまでも道路の区画になごりがある

駅南は湿地であり開発が進んだのは昭和もだいぶ中頃になってから そのためバス路線が変 三高下経由は水浜線の名残 路面電車の通行した道路はいまでもなんとなくその面影を残しています 

水戸電気鉄道跡 現在のスポーツクラブの周辺がそこだけ区画が斜め もともと電車の基地の名残 橋と堤防はかなり改変されていますが川底に取り切れなかったコンクリートがあります 区画も現地で探すと見つけることが難しいのですが航空写真で追跡すると土地の利用方法でその鉄路をある程度たどることができる 子供の頃に電車に乗った方が近所にいらっしゃるので古いと言ってもそう遠くの話ではない 私の知らない場所に鉄道の痕跡が沢山あるそうです 台町の先、野木神社以降は私もかざしては見たのですが難しい 

吉田の航空隊と通信学校に人を輸送する電車なので、吉田の陸軍航空隊の飛行場から現ケーヨーデイツー茨城町近くの湊長岡製作所、もと通信学校まで鉄路があったと思われます。なんとなくその名残のような道路がありますが確証はなく、ただ北関東自動車道の茨城町東インターチェンジ近くにここはどうみても鉄道跡という、所有権が微妙で畑にもされない小さな雑木林が残っています。

その先は長岡におりるためのトンネルがあります。こちらは現在空き地。トンネルはだいぶ以前に埋めた模様ですが、さすがに地盤に不安があるのか台地の上には変な形のサラチを残しています。トンネル出口は不明。ちいさな鉄橋の土台はいまも残っています。茨交エブリーこと茨城交通が経営していて、現材はエコスと名前を変えたスーパーがおそらく駅。その後涸沼川上流のどこかを越えて茨城町役場で終点

奥谷(おくのや)から先も計画だけあり石岡まで届く予定ができませんでした。

これに似た計画はもっと以前に水路で南北を縦断する「勘十郎堀」掘削計画があり、こちらは鉄路とちがって大きく地形を改変しているのでいまでもどこを通したのか航空写真やで見ることができます

実際に勘十郎堀が完成出来たかといえば、むり。測量技術がとぼしく、川の高低差の違いが大きいため仮にお堀ができたとしてもどこかで水位の調整が必要で、現実的ではない。

東日本大震災のときに大洗が津波にのまれ、勘十郎堀の予定地が水浸しになっていました。一番低い場所を掘り進めると、もしかしたら涸沼川下流の途中と大洗のいまのアウトレットモールが水路で繋がっていたことでしょう。ただ、こちらも船を進めるほどの広さを掘れたとして、護岸の養生までできたかどうか怪しいところです。



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