ゆるく歴史を学ぶ

明日は午後から雨だ、自転車に乗れない悲しい。

歴史の学習は継続中。漠然と把握。佐竹の息子がドスを短く脇差に加工化した刀の出所が上杉謙信と覚えました。上杉といえば「タッチ」でしたので偏差値0.5くらいアップ。でも西国大名とかよくわかってない。

近代の歴史。明治大学は戦時中パージされたいわくありの学生や徴兵猶予狙いの社会人が紛れ込んでいたらしい。戦後何十年にもたって校門にアジ看板が並んでいたのは、彼らの子孫だと思う。

580億円の仮想通過のNHK特集のナレーションが山寺宏一なのはあざといと思う。

京都を追われた親鸞がなぜか茨城に来ていたことを知る。笠間の稲田。ふつうの田園地帯。まさかこんな歴史のある場所とは。
親鸞聖人ガイド | 観光いばらき(茨城県の観光情報ポータルサイト)
>親鸞聖人が笠間を選んだのは、文化も栄えており、「教行信証」を執筆する上で稲田神社に様々な資料があったことによります。

あらためて思い出すとあのへん立派な神社がたくさんあります。長く宇都宮氏の勢力圏で、水戸とは雰囲気がちょっと違います。廃藩置県のときに、笠間に県庁を作ってもよかったくらいです。常磐線の路線図を見ると、石岡でもいいともう。水戸はちょっと遠いしどうして県庁を水戸にしたのか。なぞ。

佐竹氏も頑張った

米沢城に行ったこともあり、城についての本を買いました。軽い内容の本。メモ的に年表が付いてるので地元の項を読むと、佐竹氏が頑張ってます。

人取橋の戦い~伊達家の輝宗死して政宗も絶体絶命!
伊達正宗と戦ってたり

鹿島城 南方三十三館の仕置き | 落人の夜話
地元勢力30人をお城のお楽しみ会と称して読んで謀殺してみたり。あんな遠いところまでよく行ったものです。

喜連川の歴史を歩く (その3)
あの温泉はいいものだと、先日サイクリングで走ったときに地元の方に教わりました。

日本史がいまいちよく分かっていないのですが、佐竹が白河まで手に入れていたのは頑張ったと思う。

酒が飲めるぞ

今週が「新酒祭」で来週が「梅酒祭」

2/24(土)「水戸の新酒まつり」開催します!! – 日本酒カレンダー
おいしいお酒はおいしいと思うのですが、一旦家に帰って出直して人混みをかき分けて濡れたコップと食べこぼしのテーブルでお酒を飲むほどお酒が好きじゃあないし、土曜日の七時半に終るイベントって誰向けなの。

全国梅酒まつりin水戸2018|全国梅酒まつり
梅酒のほうは3月の初旬は個人的な用事があり。去年もなにか用事があって行かずじまい。たしか仕事してた。お酒は飲まないのですが、思考は飲んだくれに近いのでむしろ積極的に酒イベントにはいくべきなのですが、そう、お酒がソコマデ好きじゃないことと、飲むとダウナー系のためメーターが上がらないので、飲み会のテンションとか楽しそうな様子に付き合うことが正直苦手です。これは性質。

20年ひと昔

若い子と話したら、オームの事件がもう再現VTRで観た過去の出来事で歴史になってて、そりゃ私も歳を取る訳ね。

あの日はスタンドでバイト。前日山田康雄さんが亡くなってるのだけれど、全く記憶がないくらい翌日の事件が派手。日本以外の国から攻撃されたと考えてました。95年はいろいろありすぎ。

1995年 – Wikipedia
1月は阪神淡路。なぜか胸騒ぎを感じて滅多にしない早起きをしました。もしかするとアパートの隣人がテレビをみて叫んでたのかもしてません。海が近くて、実家が心配になりました。最初に観た空撮の風景と、ヘリに乗ったカメラマンの言葉から知らない土地とすぐに分りましたが、それがどこなのか全く分らず二度寝。

水戸藩士IS説

ある意味水戸藩士

孫引きなんですけど、現在リードSPコミック風雲児たち幕末編で水戸藩士がでてきて、IS扱いなんだそうです。言われてみると原理主義の一番向こう側になんのためらいもなく突き進んでいることろが同じかもしれません。ISのムスリムの主義も、都合の良い解釈を含めて煮詰めすぎです。水戸藩の尊皇、勤王思想も根拠があってどうこうではなくて、こうだからこうだという点に置いては一緒。

どこでどうしてこうなった。理由はどこから来てるのでしょう。単純な暴力だとおもうんですけど。
元ロッテ小宮山悟が語る「理不尽練習」の意味 | スポーツ | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
で、コノヒトが習った精神野球なるものは、元を辿ると常澄(現水戸市)にたどり着きます。

飛田穂洲(とびた・すいしゅう)譲りの精神野球で選手たちを指導し、伝説の「早慶6連戦」を制した男。石井監督の指導を受けた

常中の公園のとこに銅像あった。戦前はプロ野球はなく大学野球しかありません。

内憂外患

水戸学 Mitogaku (茨城大学)
欧米ロシアが入り込んできたときに、水戸藩士は水戸学を土台に攘夷を唱えました。おそらくISの最初のころは、善意の愛国主義ではじめたのだと想像出来ます。アルカイダも似たようなものでしょう。

水戸の武家が幕末主義主張が強すぎて、水戸藩内で内部抗争の末自滅しました。当時のやり方ですと、家族丸ごといなくなりますから、政治に向いた子もおらず幕末に活躍する人物もでてこず、明治期に中央政府に政治家を輩出できなかったように、ISもきっとこの先政治に入り込んだりできずに消えてしまうのです。

水戸藩士は消えましたが、水戸藩士の気概をもった人はまだいて、融通の利かない石頭具合はなかなかのものです。私が水戸生まれであるから、そう思うのかもしれません。

あれじゃあ弾が当たらない

モスル奪還後のイラク情勢|特集まとめ|日テレNEWS24
モスルが落されて、でてきた廃兵をみていると、制空権がないってどうしようもないですね。

いつ見てもIS兵士の射撃が雑。それに引き替えイラク軍はブルパップ小銃。銃の形が、弾倉が把手の手前になり、構えると必ず肩で支えねばならず、なんにも考えないでばらばら撃つIS兵士にくらべると格段に当たるでしょう。そもそもIS兵士に組織戦であるとか、防御戦を作るなんてことはできないでしょう。

ISの訓練は 前近代的で、精神戦闘術のようなもの。おそらく距離を開けて同じ数でイラク軍と撃ち合えば、IS側はろくに当たらないでしょう。それに引き替えイラク正規軍は組織的にうごきます。最後にISが市街戦で立てこもるしかなくなったのは、砂漠なり荒野で展開していたIS軍の防御戦が削られて退却させられたからで、下がった理由はどうかんがえても射撃が下手だからです。槍で名をなした笠間藩が”新”政府軍の小銃に倒されたみたいに、きっとコテンパンですよ。

Modern Firearms – Khaybar KH2002
イラク軍のオリジナルブルパップ小銃。FA-MAS風のバイポッドつき。銃身を交換することで接近戦用のSMGの代用、分隊支援火器のような使い方もできます。弾倉はNATO準拠。