明日はペンキを塗らないぞ

明日は時間が取れるけれど、ペンキ塗りは自重します。だって寒いし。腰痛いし。腰痛の原因は仕事机の寒さかな。足もとが冷えてなんだか辛いのです。まあ運動不足すぎるのも問題です。だから明日は散歩します。

なにか買物をせねばならなかったような。調味料がひとつ買い忘れてます。あと通販の荷物を営業所に取りにいって、部屋の片付けでもしましょう。なんだか荷物が雑然としてきました。とりあえずゴミ捨て。あと本を床に置かない。本を入れる箱を作りましょう。

今年のベストセラーは「君たちはどう生きるか」だそうで。

君たちという呼びかけが、こそばゆいので苦手です。きっとこれ、だれにどういわれるかが重要。

いまのライトノベル風に書くのであれば「お兄ちゃん、どうやっていきていくの!?」になります。

忌野清志郎に「君たちがどう生きるのか俺は知らないぜベイベー」と歌われたら、そうだよなあと納得出来ます。
泉谷しげるに「お前らがどう生きるか、俺が知るわけ無いだろう♪」とか。

だから、言い方次第。それと、マンガ家次第。ガロ系の人に言われたくないし。

写真集は読書ですか

小説を読まずに文章力アップさせたい
写真集を沢山読んでらっしゃる読書家のお話です。

写真集を読書に入れるとは! 

読書とは絵の入らない本を読むことと考えておりました。ライトノベルの挿絵で壱ページ使うだけでダメだと思っておったのですが、思い返すと行けない理由なんてどこにもなくて、ただ世間というか学校はそういう定義付けをしていたなと。その定義はすごく曖昧。

ズッコケ3人組とか。あそこは国境線の内側。あそこより子供向けに振ると読書にならないような。ぼくらの七日間戦争とか。いまのラノベレーベルは図書館に入らないでしょう。私の世代でいうと朝日ソノラマとかのSFはエンターテイメント枠で学校には来ないかんじ。

公立小学校の司書さんが入れるかどうかの線引きが、私の思っていた「世間」だっただけで、それは本当の世間の姿ではなかったのです。現実の本屋に現れる世界はエログロナンセンスが盛りだくさんでした。

どうして手塚治虫はギリギリ有りなのでしょう?

角川の、赤川次郎は図書館に入りそうですけれど、横溝正史が入りにくい理由は、暗いから?よい子のみんなとDVDを観ようと思ったとき、私の好きなロボコップとかダイハードとかスピードはダメで、なんだかつまらない教育映画を見せられるのは、あれなんていう刑なのでしょう。

早川さんと石黒さん

早川書房のミステリーマガジンを背伸びして読んでた時期がありました。雰囲気で買ってた。本当に私が好きなのはミステリー全般ではなく、刑事コロンボでしたので、正統派のミステリーファンからするとちょっとずれてます。爪先がいたくなったので定期購読はアニメ誌に変更。

ライアルの「深夜プラス1」などの冒険小説にスライドするべきが、今度はアニメ誌からハードロマン、バイオレンス小説に移行して、どんどん読書偏差値が下がっていくところが私らしい。

若い、体力のあるうちに読書を沢山すべきだと思う。だけれども、日本の労働者は労働時間が長すぎるし、帰宅後にくたびれてしまって本など読む余力はないのだろう。私には幸いにして不幸なことに時間だけはあったので、二十代から三十代にかけて、それなりに本は読んでいたかもしれない。

私が学生だった頃は、古本屋にいくと早川の白と青の背表紙がSFとミステリーでだだだっと並んでて壮観だったのですが、いまはそんなに売れないみたいで古本屋ですら置き場が減っています。

早川書房がいまのかたちで立ち上がったときに詩人の田村隆一がしていたのは、江戸川乱歩先生と植草甚一先生の家に定期的におうかがいし、海外の面白い小説を教えてもらうこと。それを持ち帰って翻訳権を買うんだそうな。

それから半世紀。現代ではずいぶん進化して、「FAX」という最新機器で受注しているらしいぞ。さすがSFにもつよいしゅっぱしゃだ!なんとだいすうをこれまでの2倍にしたらしいぞ(噂)
hironori okada(@solamimi777)さん | Twitter

エッセイ2:イギリスに渡った研究者-シズオ・イシグロをさがして

賞など気にせず、読みたい物を読もうぞ。

GWは本を読んでやり過ごす

意図して、読んでいる本の内容は語らないようにしています。むかし、本棚を見せるのは頭の中を見せることだからやらないようにと誰かに言われたことがあります。

特に影響を受けない本は言ってもいいかなあ。秋田明大の獄中記は、可哀想だけれど中身がない。思想闘争といっても、やっぱり大学生のやることですから。ふつうのおうちの子で、環境に巻き込まれたと考えるのが自然かなあ。

私が高校生のときにテレビにでてて、どこか中国地方の日本海側でひっそりと暮らしてて、それを観た予備校の講師が、彼の若い頃を観たらしく懐かしんでて。もうそのとき1990年代であのひとはいま観たいな状況ですから、いまさら獄中記を読んでもねぇ。中身を観ないで「おっ」ともおって買ってしまいました。

あとは小説家の愛人の告白。こちらは影響を受けてるので書名を伏せます。なまじ文学少女だから描写がうまい。一気に読んでしまいました。内容?盛りだくさんですよ。

キネマ旬報を買いに行ったら五月号になってて、キムタクが表紙で、僕の清順派アイドルには会えませんでした。明日ユリイカを捜す旅にでます。たぶんあの本屋のあの棚にはあるはず。


駅前の本屋で見かけず。場所がわからなくて。

駅ビルエクセルの川又書店は売り場の改装を機にアートディレクターを入れて社名がオシャレに印刷されてました。雑誌コーナーの奥に入ると全部喫茶店になってて、なんじゃこれはと。若者には居心地がよろしいのでしょうけれど早々に撤退するのであります。

水戸丸井の本屋は閑散としてて、あれなぜ人が居ないかというと9階にあって、そのうえエレベーターのプログラムが賢くて、優先順位を計算して割り出してうごかしてる。賢いことと、箱が早く来ることは別で、今日は五分くらい待ちました。あの本屋が撤退したらきっとエレベーターのせいね。

書店に行かず、四半世紀くらい雑誌をマトモに買ってないので雑誌を捜す行為がしんどくて。

みすず書房」の棚ならぜんぜん苦痛にならないのです。

雑誌って目立つために表紙が多色刷りで、色と写真の反乱には眼が追いつきません。ましてや漫画雑誌から特定の雑誌を選ぶなど不可能でございます。マンガ雑誌はなによりタイトルが読めないのであります。絵柄の判別ができないから手も脚も出ません。

大正時代の生きにくさを想像する

買って本棚に入れておいた本がでてきた。汚い背表紙の下が削れたような本で、英雄の本だとおもったら、どうも禅の本らしい。カバーがなくて、下地の背にある「禅」を「譚」と見違えた。

漢文仮名交じりで「英雄は必ず禅の境地を開いているんだぜ」って内容。気合いで敵がひるんだとか、そういう居住まいの話です。勝てば官軍なのさ。

最後のまとめに「美女がいて、奴らが鬼だから欲しく無いなんて思うんじゃないぜ、欲しいけれど要らないという境地になりたまえ」とある。すごい境地。

大正4年の本で1円何十銭という単位でまず漢数字がよめない。折り返しに昭和18年に神田神保町で買ったとあるので、前の持ち主も古本なんだろう。蔵書印があって神保町の書き込みの人は中国か台湾人っぽくて名前が読めないし本文の書き込みはヤケに達筆で判読不可能でした。

よくあるお話で出てくるのは有名な人ばかり。そして総ルビ。もしかすると日本に留学してきた台湾人、そのころ日本の統治下でしたからそんな学生が勉強ついでに手にした本なのかもしれない。坊さんかなあ。途中禅と宇宙エネルギーの話をしてるし、書いた人はほかにロシアのアナーキストの評伝を書いてまして、大正時代のインテリ向けのオカルトなのか。

自分とはなにものなのかに答えてくれるものが、大正から昭和初期にかけてなんだったのやら。自分を確立するための「すべ」が、いまほど多くなくて外国から来る哲学やらの観念や概念を使ってみるか、昔ながらの宗教に向くかいずれにせよきっと今より生きにくい。

造本は良いね。本郷にある出版社と版元はきっと関東大震災と空襲で焼けてる。読むと疲れるので、また本棚に戻します。