運用だね。

きのうの話の焼き直しになるけど、結局は運用でしょう。道具ってものは。

木を削るったって専用の道具なんてあんまり要らないのね。以前電動のこぎりを何種類も集めて使っていた時期があるけれど、最後は運用が面倒で使わなくなったもんね。使いにくい道具は使いやすい道具にはかないません。

車の運転が面倒なら自転車に乗るし、自転車が面倒なら歩けばいいんだし。歩いたら体を動かすから気分もよくてよいことずくめだね。自分のチカラを何十倍にもする道具は人を神のきぶんにこそすれ、結構なストレスがかかるものよ。

時速5kmで歩くよりも時速100kmで一時間走るほうが疲れるんだし。気を削るにしても、最後はカッターナイフだもんね。たいていのものはカッターナイフで切れる。

パソコンのアプリも人の力を何十倍にもする効率化はできるんだけど、物を作り出すことはできない。物を作り出すとはデザインであるとか、文章のことである。上質なテキストエディタで書いた文章と、メモ帳で書いた文章にそれほど違いはあるまい。素人がデザインする限り、アドビの数十万もするソフトと、ロースペックなお絵かきソフトの間には、違いは出ないだろう。

そもそも創造なんてしごとは本人次第の部分である。本人が最初の一歩を踏み出さぬかぎり何も生まれない。確かに上質なアプリがあれば、創造の手助けにはなるだろうが、それは補助であって、ものを生み出す行為それ自身ではないのだ。

だから、僕は今日もありきたりな機材でありきたりな文章を書く。