本を10倍速く読む方法 貧乏編

世の中には本を読むと頭が良くなると思っている人がいるのかもしれないが、それは妄想である。本を読みすぎてはいけない。読みすぎるとバカをこじらせる。なるべく本など読まないほうが良いと思うが、書店の棚を見る限り速読の需要はあるらしい。

速読なんかいつ必要なんだろう?たとえば、仕事が絡むときとかかな?

むかし、気の迷いから勤め人研修会に参加していたときに。そこの社長に、「キャ場クラの経済学」とかなんとかいう本をわたされて、読んでこいと言われたことがある。できの悪いビジネス書を読むために、自分の時間を使うのは苦痛である。こんなときには速読をつかおう。

こんなとき、みなさんならどうするだろうか。
僕の速読法はこうだ。

「読まない」

そう。基本的には開きもしない。表紙を見て、デザイナーの力量を測る。細かいことは略すが、表紙の印刷がDTPの技術と紙質をみれば、それがどのくらいの内容なのか読まずにわかる。そのあと、表紙をひっぺがして、そこに発行日と刷数が出ていれば、もう開かずにおしまいである。古い本で奥付をみないと発行日が分からないときに、仕方なしに開く。

基本的に本など読んではいけない。運悪く読んでも、つまらなければ途中で読むのを止めてしまおう。もしくは最後だけ読もう。全部読みたくなったら、そこではじめて読み始めれば良い。それ以外の本は読むに値しない。よまなくて良い本を10分の1まで押さえれば、実質10倍速く読んだことになるのである。

キャ場クラを引き合いに出して、経済学・・たぶん、あんまり難しくない理屈・・をなんとなく分かりやすい例で書いてある本なんだなと思えればそれでおしまい。こーゆーのを真剣に読んで実践してる人がよのなかにはいるんだ、じゃあ、しょうがないなあとおもえたので終了である。読んでも読まなくても、結論が出ればおしまいなのである。

本を読むことが知的な行いだと思うのはやめよう。本をありがたがるのはやめよう。

現代国語の問題文を10倍速く読んで速く解けるとカッコ良いかもしれない。しかし、現代国語の問題などくだらないんだから読みたくは無い。できの悪い学者は本当にひどい文章を書くので、彼らの文章を読める人を養成するためにセンター試験があるんである。

教授クラスが美文家であれば済むのだが、難しいことを考えている人たちのなかに、美文家はに少ない。大学教授はだれかに伝えることを職業にしているわけではないので、美文を書く理由はない。一見難しそうに見える文章を書ければそれで十分なのだ。もしかしたらあの悪文も、知的水準の高い彼らのことだから、意図して書いているのかもしれないが。

文章なんか読まないほうがいい。書き手が何をいいたいのか分かる感性があったほうが、10倍マシである。