科学的悪文

科学者の文章はわかりにくい。もうちょっと読める文章を書いて欲しい。

言葉を勝手に定義にすると悪文になります。先日やたら略号を本を読んで参っています。途中で分らなくなります。おじさん連中は変換補助機能の付いたワードソフトを使わないのでしょうか。まさかの手書きか。

たとえば道案内をするときにコンビニを”CVS”と置換えて説明してみましょう。

「3つ目の信号を右に曲がってCVの手前で左に曲がって下さい」

コンビニエンスストアをCVSと書き換えるだけで、CVSってなんだ!と混乱します。優秀な皆様方におかれましては左様な混乱は起きないとお思いでしょうが私のようにあまり賢くない人間にはもうCVSが気になって、次にどの信号を曲がるのか分らなくなります。物事を複雑にしたがる人は少なからず居ます。上司なり取引先で気を遣う立場にいるひとがこのタイプですと非常に疲れます。

優秀な人の文章ほど悪文であるという仮説を立ててみました。書き手が優秀だから悪文を書くわけではないことに気がつきます。優秀な人のなかに、美文家と悪文家が居るのです。優秀な人に失敗が多いのではなく、世の文章は優秀な人が書いていますから、悪い文をみたときにひどいなと思い、筆者略歴をみて記憶していたのです。結果、悪文を書く人が優秀な人と勘違いして仕舞ったのです。いい編集者かそれに準じる人をつけるか、よっぽど頭の悪い子を目の前において説明してみるのが悪文を直す簡単な方法だとおもいます。あと、推敲を重ねるのも簡単で効果のある方法です。ちなみにコノ文章も現時点で3度目のリライトです。

理想はブログなりサイトの総量を減らして常に手を入れる作戦が考えられます。ブログの場合往々にして書き飛ばしがちです。

岩波市民セミナー
たまにいく古本屋に岩波市民講座の講義録本があったのを覚えていたので買いに行ったら棚になくて。棚どころか内装を新しくされてて見失いました。あれは美文というか、わかりやすい文章のはず。筆者名は覚えててるけど書名もうろおぽえ。のんびりさがしてみますいます。いままでぜんぜん読まなかったのに急に買う本の岩波比率が上がってきました。

東大教師が新入生にすすめる本〈2〉 (文春新書)