ロボコップは日曜洋画版の吹き替えで観たい

映画館に行くと袋をがさがささせながら何か食べる人が居るでしょ。あれがダメです。それなら家で見た方がよくなります。映画を映画館でみる習慣がなくて、テレビで見るくらいがちょうど良くて吹き替えだと字幕みなくていいし。

新しい物を受け入れなくなったのは年を取ったせいかと思いましたが、感性が老けたとは思えず、いいものと悪い物の審査基準がシビアになって悪いものへの寛容さがなくなってしまいました。これがきっと老けたことになるのです。このまま放置すると融通が利かないガンコジジイになる可能性があります。すでにガンコおじさんであります。

写真の良い悪いも余りよく分からず過ごしています。撮影するときに間合いを計ったり良い場面だと思った瞬間がどこなのか自分が動いてアングルをひとつ決めるようにしています。歩いたり自転車で移動していて良いと思った場所が撮影場所の最適解だと思っています。ただいつもそこから撮影できるとは限りません。誰かと一緒に歩いていると撮影のたびに歩みをとめて思った場所に戻るわけにも行きません。たびたび正解ではない場所から撮影するはめになります。これがなかなかのストレス。好きなことをするときに好きなように出来ないのは嫌なものです。大人のみなさまにおかれましては我慢できるのかもしれませんけれど、まだハートだけは子供なんでだめだわ。嫌いな人と一緒においしいものを食べたくない。

撮影場所は感性だけで決めていいのかもしれません。ただ、映画をみていると良い映画は場面を計算ずくで決めています。画面のうらにある計算が、なぜかいまごろになって理解できるようになりました。この計算ができるできないは定量化しにくく、出来なくても映画監督にはなれます。そういう人が作った映画は分かりにくく、本で言うと読みにくい文章のような映像となります。

だからきっと写真のほうにも理詰めでなんらかの正解があるのではないかと推測しています。

私が子供の頃みていたドラマは16ミリで撮影してました。

映画用のフィルムは高いので、お芝居もリハーサル必須でカメラマンも必死でした。だからできあがったドラマに緊張感がありました。デジタルで撮影すると取り直しが容易なので緊張感がなくなります。撮影する人の意識も変わるので出来あがったフィルムにも緊張感は写っています。

カメラの位置や、画面のなかの人物の置き方も昔からの映画の文法どおりですと見ていて気持ちがよい。視点を動かした理由が次のカットに繋いだときに意味が生まれるようにかっちり作ってあって、毎週作っていたホームドラマなのにこんなすごいのかとちょっと感動しました。1980年前後の子供向けシリーズのドラマで見ていた当時はなんでもなくみてましたが、いまみると手間とお金の掛かり方と子役の背負っている物がすけて見えてなんとも胃のあたりがざわざわします。

それに引き替え今のドラマは(笑)といいたいところですが、いまなんにも見てないので悪口がいえません。ワールドビジネスサテライトの手持ちカメラはいい加減三脚買えと思うばかりでドラマはみてないや。映画もみてない。磯部勉版の吹き替えのロボコップは見たい。

淀川長治 解説 ロボコップ – YouTube

【洋画吹替音声比較】 『ロボコップ』 – ニコニコ動画:GINZA
納谷悟郎中村正富山敬のとこ最高。

ロボコップ演芸 – YouTube