鑑賞に堪えれば映画

映画と映像のちがい

映画と映像は別です。小説とただの作文の違いも、どこらへんにあるのでしょう。

あいにく映画監督にも作家にもなろうと思ったことがないので、この歳までその差に付いて考えたことすらありません。セットを組んで演出を入れて立体的に物語りを作ると映画になるのかなと。ロードムービーはセットを組みませんが演出があるので映画。嘘の話を嘘ではないように見せることが映画。

器用な人が編集に手を掛けて上手い具合に映画の予告編風の映像を作っているのをときたま見かけます。あれは映画の予告編風の映像。映像の文法なり作法に則って撮影すると映画になるのでしょうか。起承転結があればドキュメンタリー映画にはなるかもしれません。

小説と作文の差

人物描写をするかしないかで小説と論説文はちがいます。今年のセンター試験は佐々木敦さんの文章を読みました。小説のほうは誰だったのやら。ちらっと見た記憶も残っていますが名前となにについての文章だったのか、もうすでに思い出せません。

小説をテストに使うことはやめて欲しいくらい小説を読まないのですが、なんとなく人にドラマが生まれれば小説として成立するとおもいます。

TBSのまんが日本昔話を良く見ていました。あの短い間に話を展開してまとめていくのは物語りとして相当な技術です。台詞を話す人はふたりしかおらず、回によってはセル画の枚数もびっくりするほど少ないはず。

プロとしろうと

一流のプロ・ファッション・フォトグラファーがおもちゃのカメラで撮影した写真が凄い – DNA
なんだかんだ、アンパンマンカメラで撮影した写真をみると据わりの良い構図になっています。

なにかが微妙にちがっています。素人も数を撃てば当たりますが狙って当てられるのがプロの仕事ではないでしょうか。

上にみっつ違いを書きました。意図が入ると映画になったり小説になったり写真になります。意図が入らないものはただのものとなります。その意図はなにかと問えば、鑑賞に堪えるもの、でしょうか。あとで見返したくなるものは作品となります。