福田恆存、金田一耕助論争といものを見つけてしまいました。
福田・金田一論争 – Wikipedia
旧字、たとえば「国」とうい漢字には「國」という表記があるように古い方の字を残そうという考え方がありました。これが福田派。金田一先生は旧字は整理して簡単にしようという考えで、両者が対立しました。
保守のいうように常用漢字を整理せずに「学校」を「學校」と書いていたら、まあ面倒ですね。変な名前を付ける親には組み合わせが増えて好評かもしれませんけど。たしかに難しい漢字ごとに意味がありますので、略字や置換えが進みすぎると困る側面もあります。
長く全共闘運動というのがわかりません。上記の論争経由で見つけたのがこちらの本。
証言 三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決
自衛隊の市ヶ谷につっこんだ「盾の会」は有名です。その創設に関わったひとりが上記の本の著者持丸氏で水戸の人。水戸学を戦後なのに学んで「盾の会」の設立に関わった方。
ここで私の歴史観を吐露しますと、新撰組が一体何なのかだいぶ大人になってから分かりました。青年将校の皇道派と統制派の違いもいまひとつわかりません。昭和自民党の派閥もあいまいもことしています。興味のないことは分からないままにしています。
楯の会 – Wikipedia
「民兵」が存在したことがまず不思議。
日本の共産主義革命の盾になるのが、保守側の民兵。それで「盾の会」。「水戸学」は尊皇攘夷ですから、共産主義革命の反対側に居るのは当然です。ただ、三島由紀夫があんな格好をしていたのに右翼嫌い。右の中にも分類が沢山あります。同様に学生運動の側にも派閥が沢山あって、表をみていると、これだけ派閥があったらまとまる意見もまとまらないことが分かります。
三島由紀夫 vs 東大全共闘 – YouTube
あいかわず全共闘の人が何を言っているのかわかりません。借り物の言葉ってやつです。
当時ふつうの市民の言葉と、全共闘が使っている言葉、三島由紀夫、持丸が使っている戦前からの言葉。そのみっつが同時代に話されていたので、まあ、そりゃ、違う言葉じゃ話が通じない。右の知性に対抗する左側の言葉がアレではねぇ。当時の熱気の中で見ると、勢いで学生運動が勝てそうにみえたのかもしれませんけど。
水戸の高校では、〈水戸学〉を学んだ。
高校でそんな授業があったわけではない。水戸学の大家・名越時正先生の家に下宿し、そこで水戸学の英才教育を受けたのだ。
おそわったのなら仕方ないですね。
997夜『水戸イデオロギー』ヴィクター・コシュマン|松岡正剛の千夜千冊
後期水戸学が貧乏人のみえっぱり説に一票。「安政の大地震」で東湖は江戸小石川の屋敷でママンを救助中に亡くなっています。
藤田東湖 – Wikipedia
今日の昼間、用事があって藤田東湖の生家跡の横を通りましたけど、水戸に住んでるから水戸学がわかるってわけでもないし。
政治はぐちゃぐちゃしてて分かりません。
マンガ 幕末は「論争」でわかる (メディアファクトリー新書)
水戸の立場がマンガでようやく分かりました。
殿がまず、格好つけなんです。