情報を文章に変える能力

理解とはなにか。理解の中身を分析していくと、情報を知識に変換することではないか。情報はいくらでも集められますが、文章力は身につきません。落ちてると拾いたくなるのが情報で、情報を絶った状態でも人間の中から出てくるのが文章。

私は基本的に豆知識オジサンなので情報を大量に仕入れていますが知恵に変換してさらに文章に直している量が少ないことに気が付きました。情報を集めて知恵なり知識に変換して、それを文章として生み出すまでに時間が掛かります。第一、ブログやサイトでは誰に言われて書いている訳でもありませんから、能力はなかなか発動しないうえに始動に時間が掛かるのです。

情報を文章に変える力は運動神経のようなものだと考えています。最初から簡単にこなせる人も存在します。そういう段違いにアタマの良い人と自分を比べるのは辛くなるだけなのでしませんが、腕の良い文章書きがどんな手段で情報を文章に変換しているのかはずっと気になっています。作文に関する技術や著述に関わる「何か」は人に依存する能力でかつブラックボッスクでして、すべてが他人の脳みその話なので推測が難しくマネしにくい。

良い文章をみると、どうやって書いているのやら。単純に情報の量なのか、深さなのか、はたまた組み合わせの妙なのか。読みやすい文章を書く市井の人を見ていると、ときどき答えが見えてきます。おそらくは書くためには感覚が重要で、感覚のすぐそばにある感情と表現力が上手い具合に組み合わされた独立した個人が見えてきます。そこまで準備がそろってはじめて文章が出てくるのではないかと想像しています。