制約と芸術

歳をとるとどうなるか想像をしていなかった。

感動しなくなる。 お笑いも映画もつまらなくなる。肉を食べてないからかとおもったが、肉をくっても変らない。感覚が薄まるのは歳のせいだろう。

テレビの笑いと裸について

R-1が裸芸になった。詳細はしらない。客の質にあわせた最適の芸が2016年は裸なのね。劣化でしかない。お笑いはもっと高等であるべきではないか。

誰が見てもわかるものに価値はないはずなのだが、いまはだれがみてもわかるように作ってようやく見てもらえる。笑いを供給する側がマーケティングをやり過ぎて噛み砕きすぎてどろどろになったのが2016年のお笑い。

たしかに昔から裸芸にリズム芸、くだらないお笑いもあったがそれと同じ数かそれ以上にコントも漫才もあったのだけれど、難しいことをすると生き残れないので裸芸だけが残ったのだ。

裸芸ばかり生き残るお笑いの環境が悪い。客のほしいものを見せているのだから裸芸のひとは悪くない。そのうちテレビは服を着ている人を笑う時代が来るのではないか。

映画

映画はどうか。CGが当たり前になったら、もうそれは映画ではなくCGである。画面の作り方に節約があるから演出ができる。CGになるとすべて思うように映像が作れるので、古い人間の想像力を越えた映像を見せてもらえる。

しかし、自由自在にエベレスト山を回り込まれても、絵に説得力がない。CGのすごいスタジオよりも、日本のシンエイ動画のほうが良い映画を作っているけれど、原恵一監督はみんな評価しないんだろうなあ。

絵画

制約が無くなるとうまくいくとは限らない。たとえば水墨画の雪舟に256色の色鉛筆を渡したらどうなるか。きっと雪舟なら面白い絵になるだろう。最初から256色の世界に生きていると雪舟を越えられるかというとさにあらず、道具環境の有無と才能が生まれるかどうかは関係がない。わたしだって和尚さんに怒られて泣く涙はあるけれど、ネズミがかけるかというとかけない。ためしにかいてみる。

私の思うネズミ
私の思うネズミ

ねずみなんてこんなものよ。日常で出逢わない。目を背ける対象だから観察もしていない。動物に興味のある人ならもっとかわいく描けるかもしれない。わたしは目を背けるからしっぽがなんとなく赤いことだけをしっている。

雪舟にマッキントッシュとイラストレーターを与えたらどうなるだろう。

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やっぱりワコムが良いとか言うのだろうか。