岩波用語圏

ブログの文章は長い方が価値があるみたい。

大学入試改革で試験が論文になります。論文を人間が読むと採点の精度があやういため、AIこと人工知能が論文の採点をする予定とあります。優秀な回答は誰が読んでも点数はよくなりますが、できの悪い文章は点数を付け難い。

たとえば私が書く品質の低い文章は、文字数に点をつけるか、記事に出現する単語が適切かどうかに点を付けることになるはず。

機械で点をつけて、合格点スレスレの答案は人間が読むのがおそらく有効であろう丸付け方法。人間が読むと、字がきれいとか答案から良いにおいがしたら加点するかもしれない。それでは公平さに欠けます。

大学入試に論文が増えるとして、点数がとれたほうが上になるのであるならば、人工知能に順応した文章というものが生まれることでしょう。はて、そんな不思議なものを人間が書けるのかどうか。妙なSEOテクニックと同様で最初の数年は効果があるかもしれない。

文章読解の人工知能というものがどんなものになるのが全く想像がつきません。たぶん美少女メガネ白衣は決定。ポニーテールかなあ。

昭和の文壇にいたおじいさんたちは、たとえば埴谷雄高が吉本隆明と「コムデギャルソン論争」なんてしてます。ああいうのを美少女人工知能さんに読ませて、どっちが勝つか判定したい。

私のおもう技術の正しい使い方はおじいさまたちの喧嘩の仲裁。

吉本隆明はなぜ嫌われる – koshohirakiya 古書比良木屋

辺野古侵入 芥川賞作家を逮捕(2016年4月1日(金)掲載) – Yahoo!ニュース
沖縄で芥川所作家が捕縛されてました。地位協定ですぐ帰ってインタビューをみたらああいう活動の人の物言いでした。なぜあの人たちが面倒臭いしゃべり方をするのか。当時は若者が、無知がばれないように論理武装していたからでしょう。いまは馬鹿がばれても平気ですから、理論武装という言葉自体聞かないし武装が出来ないように理論自体を教えなくなりました。

三島由紀夫vs東大全共闘(長尺版)

場所が東大だから仕方ないとして、難しいことを難しくいうのはなぜなのか。山本夏彦の説によると岩波用語が知識人を支配したからという。

山本夏彦「私の岩波物語」: くさなぎ君の兄

私の岩波物語 (文春文庫)

翻訳語を直接持ってきたことが失敗の原因でしょう。いまだに「アイデンティティ」は「自己同一性」と訳され、意味が分からんのです。分からない根本は最初に輸入したときの加工の仕方が悪かったこと。無い概念を言葉に置換えるときの労力が足り無かったことがひとつ。

もうひとつは文壇の姿勢。当時の知識人は海外の知識を取り入れて日本に広めていました。岩波用語で書かれた雑誌が結構な部数発行されていまして学生は背伸びして読んで学んだ先に三島に対峙する全共闘の若者の物言いがでてきます。

ところで、わたしは岩波用語の圏内にいるのかどうか。大学のゼミの先生は岩波で本を出されていたので岩波用語圏の直系のような気もしますが、その先生の本は今読んでもまったく岩波用語を使わず平易な文章でしたので、私は岩波の子ではない。

あるものをそのまま出しても面白くないとおもう下町職人文化圏のほうが身近なので、分類すればロマン派かもしれない。筑波でロボットの実証実験をしている報せを聞いて、私は「インラインスケートをみんな習えばいいのに」と思うので肉体派なのです。セグウェイなんて左右に車輪をつけて回転数を制動して立つ乗り物よりも、キックスケートで加速度を楽しむ方が上でしょう。いや、インラインは全員が乗れないからセグウェイがえらいと言われそうですが、乗れない人は頑張れ。

おなじ理屈で言うならば、岩浪用語を覚えろとも言われそう。やなこった。

本屋も岩波新書は買い切りなので処分にこまって最後は投げ売る。

現在は古書業界においても岩波神話は完全に崩壊
書評:私の岩波物語

古いのは再版がないし、値段が付かない。ふるーいのは著者がいないからもう版も増えないし、そもそも読める学生がいない。当時の学生はたぶんみんな沖縄。

岩浪ジュニア新書は大人なのによく読んでます。