春と工業

ほんの数キロ車で移動しただけで交通事故を三件見かけました。オカマふたつに交差点の実況見分。オカマのひとつはやったばかりで、当事者間でお話し合いをしていました。みんな前向いて運転しまょう。

喫茶店は温泉施設の宴会場のごとき喧噪。客層が大衆浴場と同じになってしまえば企業が考えるお客様イメージは消し飛びます。さしてコーヒーが旨いわけでもなく居心地が良くもなく、中身のある話をしているわけでも世の中を変える素晴らしい作品を作っているわけでもない。家でパソコンを見ながらインスタントコーヒーを飲もう。

人前でパソコンの画面を開けられることと、使っている問題集がなんなのかすぐにバレテシマウ環境で落ち着いて勉強出来るのがとても不思議。

仕方ないので行き交う高校生を見ていると、チェーンの伸び具合で学年が分かります。美容情報にさとい女子はみな垢抜けています。工業高校の生徒が錆びた自転車に乗っているのをみると憤りを感じます。もう、工業国ではないのです。

農業生産から家内制手工業、工場制手工業を経て工場制機械工業に発展したのが今の日本の礎です。まあ、礎といっても戦後の何十年かたまたまそういう国家体制であっただけ。長い歴史をみれば特殊な環境であり永久には続きません。

日本が工業を発展させようとし、長州の政治家が海外を視察して社会の仕組を農業から切替えづつけて、間だに戦争を挟んで今に至ります。工業の知識はもっぱら海外から学んでいます。そして一等国に追いつき追い越してしてはじめて、お手本がないことに気が付きます。

気が付いて、さて、どうしようと停滞したのがこの二十年。ネット社会になりました。

私の知っている昭和は家電社会でした。電気で世の中が便利になっていきました。自民党が一党支配で長く続き、道路鉄道発電所の開発で豊かで便利になりました問題は、便利になったあとに何をするかです。

経済成長で欧米と互角になったさきに、なにがあるのか。おそらく、金があって教育を受けた結果、自分の家のみすぼらしさに気がついてしまったのではないか。

お金があるのだからみすぼらしいはずがないのですけれど、実は社会体制のいくつかが古いままなのです。