地震の後始末

地震に関するエッセイは東日本の時の5年前に書いたので、いまから重複しておもいだしても意味は軽い。

いま、熊本の人が欲しい情報はなんだろう。

家の補修

屋根は、すぐには直りません。半年くらいかかります。もともと屋根職人の数が決っていますから、ふだん屋根職人がしている仕事に、補修の仕事が追加されます。屋根瓦も不足しますので、修理が終わるまで暫くかかります。

台風シーズンには間に合いません。ブルーシートも吹き飛びます。

対策としましては自前修繕。低層の農家の資材置き場はてっぺんの瓦をモルタルで塗り固めて色を塗って直していました。見た目は良くありませんが遠目に見れば分かりません。直す業者を待つより確実。

ガルバリウム合金の屋根への葺き替えも検討しましょう。とあるお宅はあるとき突然屋根瓦をはがし始めて、ブルーシートを掛けた数日後今度はシートを外して鋼材でできた屋根に載せ替えていました。
実録!ガルバリウム鋼板屋根は評判通りなのか?
雨音がうるさい、防音工事が別途必要、寿命が短いので避けられるかもしれません。ただ、重量を考えると絶対に日本瓦よりは軽くなりま。

東日本大震災後、川沿いの家がいくつか立て直しとなりました。建坪率をすこし小さくして、外板をガルバリウム綱版、小さい窓のツーバイフォー工法で建てた家が増えました。地震によりふるい日本家屋の耐震性のなさと、瓦が落ちたことへの反動と想像出来ます。

1度ひどく揺れた家は耐震性が落ちますので耐震補強工事などがあとから必要になります。

茨城県の旧県庁舎は4階建てでした。4階部分を追加で乗せたら痛んだため、最上階を取り外して3階建てに直してます。1世紀前まで沼底だった軟弱地盤に建てた重たいコンクリート製の水戸市役所は、おもいっきり地盤がゆがんで使用不能になり旧県庁に機能の一部を移転しています。

産業

九州熊本は工場の誘致に成功して日産、トヨタの生産ラインを抱えています。ソニーのセンサー工場もあるそうです。部品工場は揺れると水平が取れなくなりますから修繕は揺れが収まるまで大変でしょう。

PDFですが、日立ハイテクはひと月半ほどで復旧してます。
東日本大震災の影響および復旧対応について(第四報) :日立ハイテクノロジーズ

PDF ルネサスショック
CSR・環境レポート2011
クリーンルームまで壊れると元に戻すまでしばらく時間が必要です。

たとえば熊本も自動車工場なら比較的早く直るでしょう。ただセンサー工場は直すまでが厄介です。

震度

震度7は家屋の倒壊率から換算されるそうです。阿蘇の火山灰と伏流水であまり固い地盤ではない熊本市一体は直下型、横ずれ断層、台風用の重い瓦、土の上に屋根瓦を乗せる古い工法。

「400年前の地震と類似?古文書に予測の手がかりは」 News i – TBSの動画ニュースサイト
 磯田氏の調べた古文書によりますと、1619年3月17日、熊本県八代地方で地震が発生。余震が長期間続いたといいます。また、このときは、熊本だけではなく、現在の大分県に当たる豊後地方も大きく揺れたとの記述があります。

400年前には地震があり、大分地震もあるので多少心配している地域のはずですが、インタビューでち出てくる人はみな口を揃えて「地震なんて人ごとだと思っていた」と仰っています。

災害公営住宅もすぐには出来ませんから、力がある人は逃げた方が良いでしょう。住まいに関しては何も言うことができません。家の中の壁は直せるけれど、柱の歪みとなると難しい。できることは、「写るんです」で壊れた様子を撮影しておきましょう。

片付けたあとに行政に申請するときに写真が必要になります。枚数は沢山は要りませんからレンズ付きフィルムくらいで充分です。あと、カメラ好きは何台過不要な過去のカメラを持っているはずです。画素数は200万画素以上あれば記録用になります。もちろん携帯電話のカメラ機能でも充分使えます。

処分すべきもの

屋根瓦は行政が捨て場を作ったら軽トラックで運んで処分してもらいましょう。瓦や崩れたブロック塀は細かく砕いて使うなんてのは無理です。上から落ちて来たにもかかわらず形が残って補修に使えそうな形のある瓦は残すとして、割れたのは処分です。よっぽど敷地が広くて庭に埋められるような家以外は処分に限ります。

家電、家財道具、タンスも処分する場合は処分の方向でいきましょう。テレビ、パソコンはリサイクルが有償となります。地域ごとの行政の指示に従って下さい。

ゴミの出し方 粗大ごみの出し方 / 益城町

私はたしか、なにかをやたらと手放しました。本は、蔵書の半分を処分しました。家具、ため込んでいたがガラクタは一気にゴミに出した覚えがあります。何時か使うかもしれないグッズは使いません。