センスは身につかない

氏より育ちとは、名前、門地、血統よりも育った環境のほうがその人間に影響が大きいことを表します。

林家こぶ平いまの正造と、トヨタのいまの社長は似ています。どちらも気のよさそうな長男で背負っている一門の重みが肩に掛かることが似ています。

骨董品を集めているおじさんがテレビにでてて、収集歴が何十年もあって何千万もお金を使っても、結局感性がずれた者がおもう名品はおじさんのセンスのズレ具合そのままにズレています。本物を見きわめる眼力は大人になってからも身につけられます。ただ、センスのズレた骨董マニアむけに専門の業者がいまして、ズレたセンスにどんぴしゃりの骨董品を掴ませるために手ぐすねを引いています。

審美眼を身につけるには若いときにたくさん本物を見ることが必要です。贋物をみる必要はなくて本物が本物だと分かればそれで充分と言います。大人になって骨董品を集める前に美術館巡りをするか、本当に好きで朝から晩までそのことを考えている人に眼力が備わります。

嫌いな人を見極める技術とか。嫌なタイプって見て分かりますよね。骨董オジサンのコレクションから簡単に眼力が導き出せます。そういうのを見極めておだてて掴ませる骨董屋は、骨董オジサンを見極める審美眼に長けています。骨董オジサンはシマウマで、骨董屋はライオン。弱っているのを見極めて食いつかれます。地方の一代で築いた財産家にもいまいちな人も居ますけれど、どちらかというとマジメな勤め人のほうに多いかも。自分のセンスを信じる力はマジメさに由来します。

あいにく骨董の趣味はなくて、古本屋を回る趣味があります。本は読み手である私が必要な本をいかに見つけるかが勝負です。人間の中身である気分はそのつど変化しますから、そのときどきに合わせて見つけてくるのが難しい。いまは本の良し悪しを紙質と造本で区別しています。大量に触っていると、できの悪い本は見えてきます。骨董品と違い低価格で値段もほぼ跳ね上がりません。良い本は文庫に入りますから、良い本ほど有名になり手元に届きやすくなります。

本と言えば書評がおもしろい。

同じ本を読んでいるのに感想は人それぞれ。けっこうな割合で内容の読めない人が書評を書いているのが不思議です。読みたくないのに読んでいるのと違い、内容が分からない人が書評を書くのです。

沢山本をよんでいるとそのうち、「これは意見の合わない本だな」と気が付くことがあります。おそらく読めてないのにへんな評を書く人は理解できないのかしたくないのです。それなら書評なんて書くなと思うのですが書きたがる。

映画も本もそんなに読むほど見るほどに量はありません。もっと見たいなと恋い焦がれるくらいがちょうどよいのです。もしかすると骨董オジサンは買うことに快楽を得てしまい、センスを疑わなかった。絵は技術ですから技術を理解しなかった。でもお金はあって使いたかった。

自分で絵を描く人や焼き物を作る人は、他人の技術がみえるので失敗はしにくい。でも、マジメな勤め人は技術ではなくマジメさで生活を切り抜けられますから技術を知ることなく定年後骨董を集めてしまうのかもしれません。

目を養うのは大切です。

今日なんとなく電車の写真を撮ったのですが、近くで同じ時間帯に同じ標的を撮った他人の写真をみたら、自分のと雲泥の差でした。

まず使っているレンズが違いました。私は付けっぱなしにしている90mmスタートのフィルム時代の望遠レンズを使っています。なにかのキットレンズです。悪くはないけれど逆光に弱い。デジタル用のほうが後ろ玉のコーティングが優れているので、私のレンズよりシャープな像を描きます。望遠は私だけで、被写体との距離がちかいため皆さん広角レンズでした。

つぎに構図がちがいます。電車なのでやりようが少ない。きっちりかっちり絵を作ってくる鉄道の人にくらべて、なんとなく撮影している私の写真はぼんやりしていました。望遠で斜め前の浅い角度から撮影しているのでボディの側面に張ってある絵が撮れていません。経験の差。できあがりを想像できなかった点で失敗しました。

私は地元ですから位置関係や土地には詳しいのですが、写真としてなにをどうすれば良いかが全く分かっていませんでした。朝起きて、そうだ今日だと思い立って出かけて現地についたのが10分前という雑な気持ちが写真に出てしまいました。

気持ちは写真に出ます。撮りたいものは熱心に撮りますからできあがりも良くなります。動画の移動撮影をするときはもっと気持ちが前面に出ます。飽きるとぶれます。歩きながら撮影していくと、飽きたところでちょうどガタッとずれるんです。

それに、いままで見た映像のストックの差が大きいかも。

「鉄道ファン」の読者はプロの構図を沢山アタマに入れていますけれど、私は電車の雑誌と写真はなんとなくみていますから、写すときに使う構図はなんとなくです。構図は正解がありますから、正解を知っていて導き出し方を知っている人が有利になります。

正解がなにかという問題もあります。私のばあい、ヒッチコックの構図は好きですが、平成のテレビ局が作る日本映画の意味なくステディカムを使う映像が苦手。それは私が考える正解がヒッチコックだから。

「女と味噌汁」 (昭和41年) 池内淳子 児玉清 – Video Dailymotion
実家でテレビをみてたら、BSでこんなのを見つけました。
<ドラマ> 女と味噌汁 | BS12 トゥエルビ
私にとってこれが正解です。

たぶん、カメラがものすごく重い時代。同時録音でアフレコではありませんが、昭和40年くらいのリズムがちょうど合っています。

たくさん見たドラマがこの時代だからなのか、この時代のスタッフが作ったドラマを沢山見たからなのかよくわかりませんけれど、カメラワークと台数に制限があって、役者が使えるから映画的に撮れるという制約と条件に基づいたルールのある映画が好きです。正解は好き嫌いと言い換えられます。自分の知っているルールに似ているから正しいとなります。

いまの若い子はきっと私の年齢になったとき「無駄な移動撮影がナイス」と思うのかもしれません。ただ、見ている限りいまのテレビドラマにルールはないなあ。モデル女とアイドル男とケチったシナリオとマンガ原作の待望のドラマ化いうルールはありますけれど、それはルールと言えますでしょうか。「やっぱ予告編で『ウォー』って叫んでる映画は最高」と思うのでしょうか。