頭の良い人が見る景色

外に出て寒いなと思う。10年前なら「いよいよスキーシーズンだぜ」と心が躍った。いまはタダタダ寒いだけ。

頭の良さそうな高校の陸上部が練習で街中を走る。一年生だろう。彼らは一体どんな大人になるのだろう。

頭の良い人は大人になると私の視界から消えてしまうので、その生態がよく分らない。きっとどこかに生息している。

あたまの良い人はいったいなにが違うのでしょう?

どうして見えなくなるのか。それはきっと頭の良い人は、きっとどこかで大衆というものに絶望してしまうのだろうなと、私は30過ぎた頃ようやっと気が付いた。

子供の中に大人が紛れ込んだ心持ちになるのではないか。中一が幼稚園のお遊戯ができなくなるようなものではないだろうか。

私は高校時代ぼんやり生きてしまったので、「頭の良い人はどんな景色が見えるんだろう?」「楽しいのではないか」と勝手に想像してきた。だって大学受験が片手間ですむわけでしょ、おそらく「頭の良い」当人にとっては、現実のヌルさにうんざりするのではないか。いくら新曲のお遊戯をもらっても、お遊戯だもの。

本格的に頭がよい人はときっといる、ただし私の知らない場所か、頭の良い人ばかり集る場所か、私の住んでる社会階層の違う場所に移動し、私の歩く範囲にいないのだろうなあ。どうしてもすれ違いたいなったら、いそうな場所に出かけていかないと会えない。

彼らの見える景色に興味があったけれど、彼らには彼らなりの見たくない物があって、単純に頭が良ければ人生全て順調というものでもないだろう。不幸に気が付かない程度に鈍感な器の大きい人物のほうが、じつはシアワセなのかもしれない。