笠原水道

水戸の中心部より南側に笠原という地名があります。ここより沸きたる水を低湿地帯である水戸城東側に給排水する設備が笠原水道と呼ばれる江戸時代の水道。

小学校のときに読んだ資料によりダッシュ島のように木で樋(とい)を作ったと思っていたのですが、取水部分では石組。ジオネット水戸大洗さん(facebook)の情報によると緒川のダムに樋があるらしい。江戸から昭和一桁まで使っていというから、その時々で使える素材も変ります。

水道の経路が一瞬画面に映ったのを思い出しますと、改修前の備前堀に沿って水を供給しているように見えました。笠原から、江戸期に開発を進めた城東、城南地区は水道をそのまま通すには湿地帯過ぎます。そこで一旦水戸城のほうに水を寄せて、そこから備前堀という川沿いに水を供給したのかもしれません。

有限会社 井戸ライフ|笠間水道施工に関する一考案

地図みつけた。笠原水源から台地のフチに沿ってうまい具合に配置しています。台地のフチを使うことで高低の調整が出来ます。笠原と新たに開発が進んだ水戸城南東側の下市までの間だはそれほど高低差はなくて、いや、高校に通うときに結構坂を登ったからあれはあれで高低差はあるのかもしれない。

笠原水源から逆川沿いに北上し、市役所の西側を丘のきわを使って進み、水城高校から県立南高校を通り、吉田神社の足下を回して旧水戸街道、「たまげばし」経由下市と進んでいます。その名残で、いまでも「たまげばし」に水道管が通っています。たしかにあの経路を辿ると、駅南小橋で、たしかに水戸城に寄っています。

前出「井戸ライフ」さんの指摘どおり、わき水の出る場所でその都度水を入れて量を確保してたのは納得がゆきます。大雨が降ると水城高校のとこはすごい水がでますし、いまのマルトのあるどんぶり坂のところも、なんだかんだで湧水が出ます。本郷橋に抜ける切り通しを作るとき、ホームセンター横の現場では常に水が染みてましたから、どこを掘っても台地の下のとこに水はでます。その水を利用したのが台地の上にある「明利酒類株式会社」。

笠原水道 | 水戸市ホームページ

笠原水道 岩樋復元 イバラキノート

ジオネット水戸・大洗(@geonet310)さん | Twitter

水戸市下市の風景。 | 【演劇】劇団いばらき〜水戸黄門〜