説明すると損

最近読んだ本に説明したら負けって書いてありました。

分かっている人が分からない人に説明しますと、説明をした人つまり分かっている人が一方的に損をするのだそうです。ものを知らない人に説明するのは損だというのです。議論は得ですが、説明は損。てもとにその本がありますが、あえて読まずに続けます。

説明したら損とはどんなことなのか。

きっと審美眼を問われるとき。

最近気にして見るようにしているのは、テクスチャーとフォント。習字をならっているときはよく分かりませんでしたが、あれは奥が深い。どうすればきれいな字が書けるのかなあと気まぐれに筆ペンで練習してみたところ幾つか分かったことがあります。分かったことを説明すると損をするのでここには書きませんが、善し悪しがわかるかどうかが重要なんですね。

習字をいい加減に倣っていましたが、随分もったいない習い方でした。

若いときはどうしても格好を付けたがるものです。

年を取ると、自分が無知だと損するとわかります。

大人になると自分の無知に素直になれます。

わからないことに対峙したら、男は黙って九州男児を気取るかもしれません。わたしは黙っていられないので、積極的に前に出て行くようにしています。最前線に出ていくと撃たれるんですが、意外な拾いものもあるので止められません。

実際、わかるひとなんてひとりでもいればいいと思っています。理解者なんてひとつの国に五人くらいいれば人間は充分に生きていけると思います。

それで、カメラをちょっと調べてみて、画像にこだわる人が何を基準にしたのかがようやくわかりました。なんであのメーカーなのか比較写真をみるとよく分かります。ただ、写真はそこまでで、自分で作ろうとは思いません。動画は作ろうと思うのですがどこが違うんでしょう。作っているときの高揚感が違うのかなあ。そこに費やした時間と、こだわりがあるかどうかなのかも。

いままで気にしてなかったけど、もしかしたら「競争心」なのかも。上手くやる自信がある場所で、上手くやることに快感があるからやるのかもしれない。

話しを説明したら損に戻してみましょう。

具体的にいうと差し障りばかりで喩えにくいけど、私の場合映画かなあ。映画が分かる人とは仲良くなれるけど、あの映画を評価する人とは口も利きたくないということが、ままあると思います。家で動画を編集しててマルチ画面にしたら「あ、華麗なる賭けだ!」とひっそり興奮します。

映画は面白いかどうかわかります。好き嫌いなのかなあと思いましたが、審美眼であり、感性の問題なのかもしれません。だから、半分くらいは感情の問題で、そのズレを解き明かすには感受性を問題とせねばならず、感覚のずれたもは説明が難しい。だから説明すると損します

わたしの場合、育つ過程で映像に浸る時間が長かったのでしょう。子供のころはテレビッ子でしたから、いわゆる上品な家庭で育ったテレビマンよりも私の方がテレビを見ています。だから、いまのテレビマンが作るテレビ番組をみると、ああ、これは俺より観てない子がつくっているのだなとわかります。演出の工夫の無さにびっくりしますし、明らかに手抜きが多い。あんまり驚いてある時期から特定の番組を数本だけみるようになりました。これは無駄に目が肥えたための副作用でしょう。川島なお美のワイン評論みたいなもので、当たっているかどうかは気にしないで下さい。

Q.どうしておじちゃんはテレビを観ないの?
A.演出ができてないものはみないぜ。

いまほとんどこんな感じ。作り手の足下が見えてしまう、言いたいことの言い方が貧素で観ていてかわいそうなので手を切りました。(婉曲表現は疲れる)