情熱大陸 「紀里谷和明」監督

紀里谷和明(映画監督) – 情熱大陸
紀里谷和明 – Wikipedia

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「情熱大陸」は監督の懐に入って追いかけていました。自分勝手な優男というこちらの先入観で見始めたら全然違う情熱の人。

情熱大陸(映画監督 紀里谷和明さん) – akisanの日記
キーワードは「独学

宇多田の元ダンナの紀里谷和明は5分以上の映像作品を作らない方がいいと思う。 – くるえるはてなくしょん

紀里谷作品のストライクゾーンの狭さはガチ。

言い得て妙。のれるかどうかの落差が激しいかも。映画は短いカットの積み重ねで「5分」を積み上げて「2時間」になれば映画になります。5分と我慢できないなら相性が悪いので2時間が苦行になります。

情熱大陸を見る限りの感想

「中2」で単身渡米。ビジネスマンになる予定が写真の勉強をしたそうです。

その後、「音楽映像」で有名になったのは皆様ご案内の通り。

海外の「映画学科」を経由しているわりにはできあがる作品が分かりにくく、「この人はどこで何を習ってきたのだろう?」と疑問に感じました。「写真」経由で「映画も独学」と聞いて納得しました。カットもリズムも文法もカメラワークまでがユニークです。

基本ではない、感性で映画をとると昔からの映画ファンは観にくいものになります。

人は予定調和が大好きです。不安に感じるカメラワークで暗い映像のまま幸せなシーンがでてくると、映画を観ているお客はどう解釈して良いのか迷うのです。惑う部分を修正しないまま突き進むとオールド映画ファンから非難されます。

映画ですからどう作ろうと構わないわけであらためて後述しますが2000年代も2010年代も、テレビ局がお金を出してもろくな映画ができなかったのですから、むしろ思い通りに作った紀里谷監督のほうが一枚上手。

ユニークすぎる

作りがユニーク(独特)なのはヨシとしましょう。彼の「作品」は「映画じゃない」と言われるのも、独創的すぎるのです。

私を含めてまえの「キャシャーン」をみて「これ、映画じゃない」と思ったのはきっと古い世代なのです。いわゆる自称「映画好き」は「映画とはこういうもの」だと先入観をもっています。だから「お約束」から外れると映画でない、これはダメだと思うのです。その逆に、どんなにつまらなくてチープでおバカな脚本でも、映画学校を出た人が作った映画は安心してみられるのは不思議。

共有感?

「映画」に齟齬を感じるのは、監督と私たちのあいだに差があるからでしょう。どこに差があるかというと、今まで食べてきたものが違うのでしょう。料理を作らせたら食べたことない物が出てきた、そんな感覚です。見てきた映画が違うというか、もしかすると監督は古い映画を見ていないのかも。

GOEMON : 紀里谷和明監督 インタビュー – 映画のことならeiga.com

松田優作の『野獣死すべし』とかが好きで、映画を楽しんで見ていたんです

うむ、あのめちゃくちゃなシナリオの映画が受け入れられる(笑)タイプか。角川版の野獣視すべしは瞬間的なカットは印象強いけれど、シーンどおしが繋がっていない変な映画でした。

紀里谷監督の映画がどう評価されるのか。それは歴史に任せましょう。
私財をなげうって映画を撮っている人に興味が出てきました。

追記
作ってる人は偉い。なにもつくらないでケチをつけるのはよくない。映画が後世に残るかどうかはわからないけれど、残る可能性のあるモノを作った方が勝ちなのです。

映画がいまちいに感じるのは、こっちが追いついてないのか、育ちが違うからなのか。中学二年生で渡米できる人と同じセンスの訳がないので、わかった上で評価しなければなりませんね。

追記
たんによくわからない映画を作る人扱いになるとは思えないし、2015年の11月くらいにハリウッドで作った映画の宣伝で出てきた監督を見る限り、丸くなっているから何とかなるのでは。ただ、あの映画はシーンが長すぎるし刀の使い方がハリウッドに寄せているので日本で受けるかなあ。