教員性善説

兵庫・高2自殺:「不慮の事故に」校長が打診、両親は拒否- 毎日jp(毎日新聞)
大人になったらこんな先生に僕もなりたいと思う生徒が増えるといいですね。校長、紙を読んでて、いかに上げ足を取られないようにするか汲々としててかわいそう。もうすこしで定年だったのに運のないひと。

教員の責任の範囲を明確に決めておく時期に来てるとおもうのです。勉強を教えるのか、試験に受からせるためにやってるのか、学校という制度を運用するための要員なのか明確に決めてあげないと、どこまでも責任が生まれてしまいます。

だから、教員性善説で運用するのではなく、悪い部分を含めて人として扱わないと限界ではないでしょうか。人員を増やして、試験担当と事務担当と教育担当とわけちゃうのが喫緊でできる対策だと思います。とかく無駄な事務処理が多いのでは。

そのうえで、生徒に接する担任と、サポートの教員と、事務担当兼テスト担当に分業化して分野ごとに精度を上げればよいとおもいます。

たぶん、悪平等になることを避けるために一番下に合わせて日本全国びょうどをに運用するのがもう無理で、それをやるなら統一試験ですし、現状でいくなら人員を増やさないと。

増やした人員のなかで、やっぱりテスト担当より授業したい人がいたら資格試験で変わればいいし。教員の中でカーストみたいに上下ができると困りますが、得意分野ごとに分業してもいいんではないでしょうか。

人が増えて悪くなるような組織なら解体しちゃえばいい。