水害の常総市を思う

常総市って例の平成の大合併で出来た市で、元は水海道とかでしょう。水海道一高が避難所になってました。

水戸の人(私)は県西地域の土地勘がぜんぜんなくて、常総ってくらいだから常総学院があるだろうと思ってましたけれど、いやまてよ、常総学院はもっと東の霞ヶ浦よりだぞと。桜土浦のインターチェンジの近く、常磐高速沿いに常総学院があります。

そこから常総市は10キロほど西にあります。昭和の末に2度決壊した小貝川を越えた先に今回の鬼怒川があります。ちなみに私は小貝川と鬼怒川の位置関係を逆だと思う程度に土地勘がありません。

昔は織物が盛んで織物博物館があるみたい。染色や機織りのつよい地域は手先が器用な人が多く、工場を探すときにそういう場所を探すそうです。いまもタイとかミャンマーあたりの織物が出来る地域を狙って工場をたてるそうです。

有名なところでうまい棒の工場があります。反乱地域よりちょっと西側。織物で家内制手工業から工場制手工業が盛んになり、工場を誘致、東京から1時間ほどの距離にあるので交通の便もよくて昭和のある時期までは栄えましたけれど、今は人手が足りなくなってご多分に漏れず日系ブラジル人を沢山呼んできてるそうで、避難所にブラジルの通訳がいたのはそのため。

川の決壊の原因で揉めてますけど、基本川の管理は一級河川なら国です。避難も国が警報を出すはずなのですが、そのあたりの管轄なり管理は今回ごちゃまぜになってますね。防災倉庫や防災無線、川の設備、水位のデータ管理は国でしょうに。堤防を削るかどうかも、不通の神経なら削りませんけど昔は建設省、いまは国交省の黄色いパジェロが定期的にそれこそ毎日点検しているはずなので、常総市に文句を言うのは少々お門違いかなと。

テレビの女性コメンテーターが「荒川が切れたら困ります」って仰ってましたけど、いま大変なところの人のことは置いといて自分の心配をしているところに温度差を感じます。

では、なんといえばいいのか。「荒川も切れたらこんなふうに大変なことになります」か。いやでも人が明かに困っているときに他人事として自分の心配をするのも、内向きの話なら構いませんけど公共の放送でいうのってなんなのでしょう。ミヤネが東日本大震災のときに「大阪は大丈夫か?」と聞いたのに匹敵する違和感を感じます。