辞めた検事はヤメ検

都知事のガードは堅く、ヤメ検2名を召還。ヤメ検とは検事を辞めた人。

検事は事件の違法性を追及する人。

物損事故の支払いで揉めたときに、壊されたガードレールの側に立って裁判を戦う人。ここでは警察の親分とお考え下さい。

攻める都民と、共産民主の野党、マスメディアは、ますぞえ知事の政治資金の使い方が違法と証明したい。公用車で別荘に通うことが政治資金を使うルールに抵触すると言いたい。

守るますぞえとちじ側は、法律の上では問題がないと言いたい。

辞めた検事は都知事を「適法」に寄せるために呼ばれました。日本で1番違法か適法かに詳しい検事の、引退後の御用弁護士ですから、高度な論理を使い煙に巻くことでしょう。

世間は感情の上でもう都知事を切り捨てていますから、会見しようがなにしようが政治的な求心力は地に落ちていますので、だれが守りの側に付いても結果はそれほど変らないでしょう。法律として正しいことと、道義的に正しいことは違うのです。

スピード違反に二人乗りの原付をパトカーが追いかけ回して事故が起きたとき、原付が電柱にぶつかって乗っていた高校生の前歯が折れた場合は「適正な追跡方法でした」といわれて納得出来ますけど、スピード違反の乗用車を追い回してタクシーとぶつかってタクシー運転手さんが亡くなったら、私たちはきっと「どこが適正ジャイ」と思うのです。

絶海に「適正な追跡方法でした」って警察署長は言うでしょうけれど、感情の上で納得しかねる事柄は数多くあります。警察関係者がおもう正義と世間の正義は同じようでちがうのです。

いまごろになって急に学生時代の勉強を思い出します。辞めた検事が教員の学校に通っていたので、辞めた検事の雰囲気はなんとなく知っております。普通のおじいさんでしたけど、かくしゃくとしてたり、人によっては権力の粘っこさが顔に張り付いていたりしましたけど、もし問題を起こして説明するときに横にいたら空気がよめなさそうなので厄介です。法律の条文が読めることと世論が読めることは全く別です。

世間のルールと司法のルールが別れているのかもしれません。

たとえば不倫は自由恋愛ですから合法ですが、世間いっぱんの道義的な心情から言えば違法です。

不倫は文化だ —石田純一—

文化ですから芸事で芸事ならアートで、アートはルールとは別のルールで成り立ちます。

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