聴いた話

有料のお見合いパーティに毎回来てるお局達がいるそうな。
彼女達は相手を見つける場にいながらいつも女同士で帰る。
何しに来てるのかと問えば、新しく来た男の品定めをするだけ。

一方的に批判できる立場に居るだけでおなかいっぱいなのだろう。

私も新しいドラマの品定めをするとおなかがいっぱいになる。
livedoor ニュース – 冬ドラマの順位確定と明暗
感心のあるふりをしようと思ったが、ここに出てきた番組を一切見ていないのでなにも言うことはない。
見ないと島流し!っていわれたら、「喜多善男」「鹿男」は見たいですって言うかもしれない。
実際、深夜に再放送でもしてて、暇だったら見るかもしれない。

でも絶対に「●●●●●」と、「●●●●○●●●●」は見ないだろう。(お好きな言葉を入れてお読みください)
これを見ないと江戸払い!といわれても見ないだろう。江戸に住んでないし。
「上方送り」って言われたら見ようかどうか悩むかもしれない。とりあえず大井川は越えたくない。

最近の見てもいないドラマに話を戻そう。

広告主として考えるなら、視聴率が高いドラマは良いドラマなのかもしれないけど、見る側からすれば視聴率の高いドラマが全部面白いわけでもない。一瞬注目を浴びるが心に残らないモノってあるでしょ。100円ショップで買って次の週に損した気分になるものとか、表紙だけ見て買った本がつまらなかったとか。一言で言うと「うまく掴ませるだけに作られた」モノ。モノとして出来がよいのかはよりも、売れるかどうかだけで判断されるモノって買っても面白くないと思う。でも、世の中はなんとなくそっち側に傾いているようにも思う。

昔から「焼けた工場で退職金代わりに貰った万年筆」とか、「うまく掴ませるだけに作られた」モノは存在しました。ただ、あのころは掴ませる人が掴ませようとしてる後ろめたさが見えた。今は見えない。まじめな顔をして、当たり前のように中身がスカなモノを売ってるように思います。

「掴ませる」の反対には、「高くて変えない立派なもの」が存在していたのでバランスが取れていたのですが、いまは全部が「工場の万年筆」状態になっているようないないような。一時期、私が樹種的に廃家電とか廃棄家具を見すぎたからなんでしょうけど。ちゃんと作ったものよりも、一見派手なものに世間が飛びついてしまう。そんな世間の評価基準が恨めしい。

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