切れのあるダンス

具体的にはマウスコンピューターCMのこの部分で、手の開き方とスカートの動きが他の人とちがう人がいます。

乃木坂46の齋藤飛鳥らしい。

アステアの映画でも、後ろに人を並べて前でアステアが踊ると、何かが違ってみえる。齋藤さんが左右に従えたメンバーと違って見えるのは、たぶん体の動きが違うから。
齋藤飛鳥 写真

先月ずっと古いセルアニメのOPの気になるシーンをGIFアニメにして解析する謎の趣味が発動していましたので、動きに目が行きます。

アニメーションで作るなら、頭の上から下ろして行く途中のコマを中抜きして、開いた手までの絵を抜きます。そういうリミテッドアニメの印象づける手法が使えるのはずですが、あいにく乃木坂の齋藤さんは二次元ではありません。コマの中抜きは、人物なら青木雄三氏のふしぎなタイミング、メカなら板野一郎氏が有名です。

乃木坂の人は、たぶんダンスの経験があるかもしくは筋力が強くて、動きに余裕があるのではないでしょうか。だから、ほかのメンバーが流れのなかで手を止めずに動かすところ、齋藤さんだけ「手のひらを開いて止める」時間が長い。だから3コマのセルアニメのような誇張を感じるのではないでしょうか。

ためしに軽く踊ってみると、あの位置でビシッと止めるのはなかなか難しい。瞬発力か。青木氏の作画をスローで見ると、あえて止めている部分があります。氏の止め絵はそれだけで「動き」がみえますから、アニメのタイミングと絵の組み合わせは独特なものとなり、これまで見たことのない物ができあがります。

どうして他のメンバーと同じ動きではないのか。

ダンスなりアニメのタイミングは、どこかで習ってどうにかなるのではなく、その個人が持つ生き物としてのリズムで、固有の物だと考えられます。だから、一子相伝ではなく個人に技術が宿り、そのワザは引き継ぎにくい。職人ワザの行き着く先は人と共に消える運命にあるのではないか。日本アニメーションやらAプロ、東映の職人ワザも、弟子が居て引き継いだように見えなくて、それで、齋藤さんの動きが良ければ良いほどなんだか寂しくなります。

笠原水道

水戸の中心部より南側に笠原という地名があります。ここより沸きたる水を低湿地帯である水戸城東側に給排水する設備が笠原水道と呼ばれる江戸時代の水道。

小学校のときに読んだ資料によりダッシュ島のように木で樋(とい)を作ったと思っていたのですが、取水部分では石組。ジオネット水戸大洗さん(facebook)の情報によると緒川のダムに樋があるらしい。江戸から昭和一桁まで使っていというから、その時々で使える素材も変ります。

水道の経路が一瞬画面に映ったのを思い出しますと、改修前の備前堀に沿って水を供給しているように見えました。笠原から、江戸期に開発を進めた城東、城南地区は水道をそのまま通すには湿地帯過ぎます。そこで一旦水戸城のほうに水を寄せて、そこから備前堀という川沿いに水を供給したのかもしれません。

有限会社 井戸ライフ|笠間水道施工に関する一考案

地図みつけた。笠原水源から台地のフチに沿ってうまい具合に配置しています。台地のフチを使うことで高低の調整が出来ます。笠原と新たに開発が進んだ水戸城南東側の下市までの間だはそれほど高低差はなくて、いや、高校に通うときに結構坂を登ったからあれはあれで高低差はあるのかもしれない。

笠原水源から逆川沿いに北上し、市役所の西側を丘のきわを使って進み、水城高校から県立南高校を通り、吉田神社の足下を回して旧水戸街道、「たまげばし」経由下市と進んでいます。その名残で、いまでも「たまげばし」に水道管が通っています。たしかにあの経路を辿ると、駅南小橋で、たしかに水戸城に寄っています。

前出「井戸ライフ」さんの指摘どおり、わき水の出る場所でその都度水を入れて量を確保してたのは納得がゆきます。大雨が降ると水城高校のとこはすごい水がでますし、いまのマルトのあるどんぶり坂のところも、なんだかんだで湧水が出ます。本郷橋に抜ける切り通しを作るとき、ホームセンター横の現場では常に水が染みてましたから、どこを掘っても台地の下のとこに水はでます。その水を利用したのが台地の上にある「明利酒類株式会社」。

笠原水道 | 水戸市ホームページ

笠原水道 岩樋復元 イバラキノート

ジオネット水戸・大洗(@geonet310)さん | Twitter

水戸市下市の風景。 | 【演劇】劇団いばらき〜水戸黄門〜

千波湖の鳥インフル規制2017

タイヤのちいさい自転車で近所をぐるり。

千波湖は鳥インフルエンザの拡散を恐れ自転車を進入禁止にしています。でも人は歩いてよいという謎ルール。

「千波公園」という曖昧な表現で立ち入り制限をしており、千波公園の範囲を知らない高校生はためらうことなく自転車で進入しています。この場合、千波湖湖畔の遊歩道を自転車進入禁止と表現するのが正解ではないか。

ただ、今度は湖畔が読めないとか、湖畔の範囲が分らない問題が生まれます。

北側は、千波湖-遊歩道-桜川-遊歩道2-車道-JR常磐線の配置で、遊歩道2も沢山鳥のフンが落ちているのに、市の管轄ではないからなのか交通規制はされていません。

エサがもらえないハクチョウは、先日みたところ涸沼に逃げてて、他の場所に移動してるからなのか千波湖には数羽しか見あたらず。

おそらくこのあと梅まつりが始まりますので、鳥インフル規制はなんとなくなし崩しになるでしょう。

製造業と創造と

日本企業が「長時間労働」をやめられない本当の理由 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

長時間労働の最大の罪は、やらなくてもいいことばかりやっているから、本人が成長しないまま年をとるということ。(中略)これがここ25年間の日本。だから、どんどん世界の競争で負けていっているわけです。

沢山作って売る時代ではなくなってしまって、そういうのは中国。

ゲームの世界の経済学が現実世界に通用するという話 – やねうらお-ノーゲーム・ノーライフ
ネットで物を売ると、最低価格以外は物が売れない。

これから何を生産して売れば良いのでしょう。横並びで他社のマネで食えない時代。

それでもマネをするのはどうしてなのでしょう?

学校で突飛な考えを発表するとつるし上げを食うからですね。意見をいわないことが美徳。だから独創性がなく、なぜか物を使いにくくする人ばかりメーカーになります。豊田の車のインパネが訳分らないし先日も、マニュアル車を転がすクルママニアが最新のミニバンを五メートル動かすだけでパニックになる現場に遭遇しました。電子制御もほどほどにね。

操作系を勝手に変更しないでほしい。うちのクルマは音楽はカセットテープ。ヒーターの切替えはレバーです。しかし、時代はもうよくわからないボタンとタッチパネルでラジオの選局すら出来なくなりました。本当の本当に最新版になると声で操作できるらしい。「この辺で一番うまいラーメン屋を教えてくれ」「はい、マイケル。惚けた?さっき食べたばかりですよ」。

東大の中下位層はレベルが下がっている……林修がその原因を推理 (BEST TIMES) – Yahoo!ニュース
この問題でこういうことを書く生徒は、根本がわかっていないという指針になる設問があるんです。
 実は、僕はそこを間違えた生徒の名前をノートに書き留めているんです。(中略)「東大入試のデスノート」と呼んでいる

考えの足りない人が陥りやすい道筋というものがあります。私の経験で言うと、計算が苦手なのに筆算しない子はデスノート行き。分数を約分するときに割り切った最後「1」と書かない子も追記。

ついに長い文章を読めない世代がでてきたのですね。

単純なことを皆とナカヨクしつつ繰り返して生産していると食えた時代がありました。いまもどこかに在るのかもしれませんが、そこに望みを託すのは心許ない。

製造より創造を尊ぶ時代に変化してるのではないでしょうか。時代の風が変化したときに、クラスに居た40人中何名が創造の世界にこぎ出せるのか。

かなり少ない。

文系と理系の分岐点

文系と理系はどこで別れるのか。

わたしはときどき理系だと思われるが、完全に文系である。高校生のときになんとなく気が付いた。

大人になって、理系と親しくなってよくよく聴いてみると、私が数学が分らなくて文系に進んだように、理系にも苦手な科目があるんだそうな。

何だと思います?

国語です。

国立の工業系に進んだ人で国語のうち、小説がだめなのだそうです。たまたまその人が「小説の読解が出来ない」だけなのかもしれませんけれど、そこから類推するに「理系は小説が解けない」のかもしれません。もちろん文系理系を跨げる飛び抜けて優秀な人も沢山いると思うんです。

小説が読めないとういのは定義としては曖昧さが残ります。「小説で点が取れない」ことが苦手意識の第一歩。次いで「小説で点を取る練習方法がないこと」が、嫌いなのだと言ってました。

視点が作家、読者、出題者と3人居て、三者三様の解釈をしていますから3人分気を使わねばなりません。数学のように正解や証明が利かない点は、苦手意識を持つ者からすれば嫌う原因になるでしょう。突き詰めれば答えの定義が曖昧なことがイヤなのではないか。

そこからさらに、時系列、主人公、脇役の背景、演出意図など汲み取ることは、言われてみれば面倒臭い。そこまで勉強したとして、定義があいまいであれば試験のときに出題者との相性次第で得点が激しく変化します。たしかに、あやふやなもので自分を試されると気分は悪くなります。

翻って自分がどうして数学がわからないのかわかってきました。圧倒的に情報量が足りない。

理系からみると、たぶんこんなコトではないか。

「夏服のショートカットの女の子が残していった短い手紙から、受け取った主人公の気持ちを答えなさい」

作家の設計と演出意図を見抜いて、出題者が学生に要求する読解力のレベルを推測し、そのうえで小説を読んで、わざと間違えを組み込んだ4つの選択問題から正確な答えを見つけてマークシートを塗る。

このとき、私は読むのが早いし出題するジジイたちは結局いつまでたっても麦わら帽子が似合う白いブラウスの少女が大好きだよなあ、いやだなあ、さて、道徳的に学校の教員になるようなマジメな大人ならこう答えさせたいだろうなあ、だから「主人公との別れを感じつつ、出会えたことに感謝する」だなと、「3」を塗りつぶして当てるわけです。

この、出題者がジジイだからからの一連の流れが、数学にもあって、理系の彼らには見えて私にはまったく見えない。