千波大橋に歩道が追加される

水戸駅南口の前に太い道路ができて、ラブホテル街を突き抜けて常磐線と交差し偕楽園下に抜ける予定があります。

大きくとらえると、水戸駅の北側にある水府橋を架け替えて、周辺道路を整備することで水戸市内の車の流れを良くする計画です。そのため、ひさひぶりにみたら千波大橋の中間にある遊歩道が追加されていました。いままでは直線の、文化センター側におりるひどく旧い橋でしたが、いま作っているのはジグザグに踊り場の付く緩い歩行者専用の橋です。おそらく、新しい道が開通したときに道路と平行になるように作っています。傾斜の緩さから自転車も押してあがれるようになるのでしょう。道路の反対側には3段の螺旋階段がついているので、対になります。

旧い方の直線型の遊歩道は、左右に30センチほどのスロープがついて、中央が階段でした。私が子供のころはあの左右のスロープはただの坂で、自転車に乗った勇者たちが降りていたものです。最後が60センチはあろうかという崖とは知らずに。いつのころか、1980年も後半になったころ、階段の左右がモルタルで延長され、自転車は押してあがれるけれど乗って下れないように改造されました。たぶん誰か下って大けがをしたに違いない。あんな場所で転んで怪我しても人通りはないしあるのは温泉マークですし。協同病院は近いけれど特に意味ないし。

ああ、階段だなと見とれて振り返るとそこにはカワセミがいました。駅前から1キロほどの場所なのに、カワセミが居るんです。これを、水戸の後進性と観るか公園都市を計画した岩上知事の先進性と観るかはお好きにどうぞ。

その先にゆくと、ちょうど大工町に上がる橋が掛け替えで、鉄骨で作った仮の橋に切り替わっていました。いつ切り替わったかは不明。たしか先週、夜クルマで通ったときにやたらと待たされたときがありました。11月のあたまに切り替えたのでしょう。あれは梅香橋?でしたか。震災で橋桁の継ぎ目が抜けちゃって、下に留めてあるディーゼル機関車が、普段ぜったい観られない位置から観察できました。もう、耐用年数で言えば限界を超えていたので、震災がなくても切り替えは必要だったと思います。道が狭くて歩道がなく、自転車でいくとわりとひどい目にあいます。設計というか規格がきっと昭和30年代のカネの無いときの規格で、本来は水戸市内でも繁華街のほうから公園におりる大事な通りなのですが道は狭くて矢印信号で分岐する、初見では走りにくい道路でした。

そのY字の分岐は今は切り替わって新しい道路に繋がっています。ただ、その道路は仮設なので、このあとどこをどう作って設計図通りの立体交差になるのか、時々見に行こうと思います。