並べて見ても同じ顔

関西のJなんとかいうお笑いがつまらなかった。笑うところがひとつもない。こんなもの流して良いものかテレビの人も思案したのだろう。ネタの間は同じ関西の芸人を次々とカメラ抜いてネタに挟み込んでた。ほかのコントとの時よりも顔を入れるカット数は明かに多い。編集マンも相当につまらなかったのだろう。

すべては新幹線が悪い。東京のお笑いは東京だけでやるべきだ。東京キー局なんて考え方はやめて、地方ごとに好きなタレントを集めて好きな番組を作れとおもう。東京もひとつの地方としてよその地域に影響を与えるのはやめるべし。本場のお笑いは本場でやるから面白いのだ。十分に規制して「やっぱり地元はええわ」と思っていただけばよろしいので大井川のあたりに関所を作ってちょっと向こうの人が流れ込んでくるのを止めていただきたい。

こういうことをいうと、きっとテレビなんかみるなといわれる。普段は見ていない。お正月なので見たけどだめね。映像ってのは切り取りがないからあるまま写ってしまう。写真のように欲しい部分だけ切り取ったりラジオのように音だけに変換したりできない。テキストなら形を変えてアリもしないことも書けるのにテレビには出来ない。編集が緩くて制約が小さい分、映像の中身をコントロールできない。だからテレビの人は欲しい映像を撮るために苦労するし嘘の演出もしてしまうのだ。いっときやらせが問題になったけれどテレビの性質上映像でなにか語るには演出をしないかぎり言いたいことが伝わらないのだ。メディアとしてはある物を伝える重要な役割があるが、世論を作るような意図を伝えるメディアとしてはそれほど優秀ではないのだ。

アフタヌーンショー – Wikipedia
やらせリンチ事件。「やらせ」の語源。

目の前にさしてかわいくない女の子がいても、小説ならかわいい部分だけ描写すればかわいくなる。けれど、映像は嘘が付けない。写真のように切り取り方が上手くできない。角度を決めて陰影を付けることも難しい。素材が悪いと悪いまま写ってしまう。近年の数で押してくるアイドルは、テレビという伝達方法がアイドルを成立させてくれないから苦肉の策で数で押すように成ったのであろう。

映画女優にはオフショットがない。ブロマイドをみて想像したんだろう。いまはDVDを買うとメイキングが付いてくるから夢を夢として持ち続けることが出来ない。だから夢ではなく現実に近い場所で数で攻めるのだ。

年末になると薄着の女の子が国際展示場で写真に撮られてて、どうしてあそこにいい女が居ないんだろう?こっちが高年齢化したからか?と解釈していたのだけれど、みれば見るほど誰も彼も同じ顔に見えてくる。アニメなりマンガの衣装を自分に載せるために個性をそぎ落とした結果、どれも同じ顔になるのか。写真に収まるモデルなのに個性を抹殺してしまうと、2フレーム目に何をしてよいのかわからなくて、それで動画が禁止なんだろうなあと推測している。

プロの洋服のモデルには出来ない芸当ではないか。洋服を際だたせる作業には個性なり技術が必要だろう。アニメ衣装を被るには自我を消す以外どんな工夫があるのだろう。仮に上手く被れたとしても、それは自分ではないことに彼女たちは我慢できるのだろうか。きっと洋服モデルの子は自分らしさを壊滅的に抹殺することを好まないだろう。

そういう意味では国際展示場の横に居る子は我慢強い子なのだろう。あんな寒い中外にいるんだし。ただ、自我は薄い子なんだろう。自我が薄い子ばかりとなら無個性の顔つきも腑に落ちる。

工作好き