安物は値段相応

涼しいのか暑いのか分らない。ただ、読書をするには暑すぎる。最高気温が30℃を下まわると、読書も復活かなと思う。夏のはじめに買った本はどれもピントがずれていて、いまからみるとなぜ買ったのか分らないものが多い。

本屋自体に通わず。新刊書店はパスしてネット発注ばかり。中古本は価格をネット相場に準じた札をつけていため、割高に感じます。

安くて面白そうな本は、もう手に入りません。面白い度間に応じた値段が付いていることが分りました。もう、新古本屋に行ってもロクな本がないことは学習しましたのでもっぱら本当の古本屋さんに通います。

本に限ったことではありませんが、デフレで物の値段が下がったとはいえ良いものにはそれなりの値段が付きます。

プライベートブランドのカップ麺が、メーカーのそれと比較しておいしくないのは、なにかが足り無いから。プライベートブランドはお店が一括して買い取る約束をしてはじめて販売価格が下がります。パッケージが代っただけで中身は製造メーカーが作る市販品と同じではないか。もしかすると間違って期待するかもしれませんが、当然安い分だけ材料をケチりますから、中身も安っぽくなります。

本日の私のお昼にいただいカップうどんで申しますと、ダシのコナが安い。味をしっかりさせるために塩気が強くなってて、あんまりおいしくない。安物はそれなりなのであります。

安物でも構わないときはあります。それは頓着していないもの。執着心がある、たとえば私にとっての自転車などは、安物をみると悲しくなります。

うどん職人が私の食卓をみたら、きっと同じように悲しい思いをするでしょう。うどん職人さんが中国フレームでペンキの弱い自転車に、油も差さずに乗っていたらわたしは悲しい。