水府流

テレビをなんとなくみてたらポーランド人が古式泳法で泳いでました。日本に来て泳法をならって、最後水戸の温水プールで術の見学までしてます。

水府流は古式泳法のひとつの流派です。

慶応大の水府流についての資料がでてきました。明治35年に水泳部をはじめたときに、指導員二人が水府流だって。

日比谷高校の日本泳法部がどこ由来かは分らないけれど、あれだけ歴史があって武家の子やらがたくさんいたであろう高校ですから。またすごい場所にあります。

両舎ともいいとこの子が集りますから、武家のたしなみとして習ったみたい。

ちなみに私も水府流が泳げます。

慶応も日比谷も通ってませんけど、泳げます。そう学校で習った。私が生まれ育った水戸の下町は水戸城下のお堀やら川が入り組んでいて、年の頃なら寺子屋、尋常小学校の子が遊んでるとあたりまえのように川に落ちておぼれます。いつのころからはじめたのか分りかねますが、だれかが思いついたのです。そうだ!子供に泳ぎを教えれば川に落ちてもおぼれないと。そういう流れで、水戸の下町では川に落ちそうなそそっかしい子に武術のひとつである古式泳法を教えだしました。那珂川に水練場がありますし、顔見知りおじいちゃんが師範であるとか、わりとみじかなところに古式泳法があります。そんな環境でしたから、昭和の後半は公立小学校でも余技として教えてくれまして、ワタクシもうっかり泳げます。

本式の泳法ですとひとかき三メートルぐらいすすみますが、私はせいぜい一メートルいくかどうか。それでも浮力のでる海で使うとなかなか便利な泳ぎ方です。波を縦に突っ切っても顔が上向きですから息もできますし、いいことづくめ。早く泳げないけど。高校での水泳で「自由に泳いで良いぞ」といわれて横泳ぎをしたのは私だけでしたので、全水戸的にやったわけでも茨城県全域で教えたわけではなく、おっちょこちょいの多い下町特有の教育だったと考えられます。

講道館柔道(水府流太田派)と戸塚派揚心流(向井流水法)との因縁の関係
うわあ、めんどうくさそ。