水戸駅近く

水戸駅から柵町にかけての古い家屋がぼつぼつと建て壊し中。道路の線路側は半分が更地になりそうな勢い。

先の地震で半分近くの建物が傾き、古い看板建築が壊れてしまいました。商店の世代交代なく、新しい商店や事務所はびくともしていませんがさすがに戦後すぐ建てたろう家は柱の本数もすくなく壊れてしまいました。耐震基準って大事。建物がなくなってしまえば駐車場にしかなりません。場所はよいので建て替えるのかなあ。

看板建築 – Wikipedia石岡の建物が看板建築の例として上がっています。大正から昭和の建物は左官屋さんが腕をふるっているので見応えがあります。建築の規模はいまの大型店舗と比べると小さいけれど金はかかってそう。

私の記憶にある限り30年くらい変わらない街並みだった。
町の姿が変わるのば寂しい。

だれも地震がくるとは思ってないね。

柵町の古い石作りの建物が減築。鉄骨の一部が露になってます。震災で一部の壁が壊れて中が見えたとき、ずいぶん渋い作りだなと感心したものです。昭和の大工がいい仕事をしていました。もともとおおきな商店として使っていたと伝え聞く建物。なかなか贅が尽くされていました。その建物、震災で痛んだ部分を解体して一部を残す「減築」を施してます。残した小さな建物はずいぶん小さくなり、構造体のトラスで組んだ鉄骨が見えます。

鉄骨と鉄骨をつなぐため台形の鉄板を使うのですがこの台形の切り方が贅沢。いい仕事をしてます。鉄板の切り方だけ見ても水府橋より仕事が高級。まあ、水府橋と商店をくらべるのは可哀想か。水府橋は昭和恐慌の大不景気のとき公共事業で突貫工事で作ったと聞きます。もともと華奢ですしずいぶん長く使いましたから地震で手すりが折れてました。

橋は継目が弱く、手すりは簡単に外れてしまいます。千波大橋の常磐線上とか、おなじく千波湖から大工町に上がる橋もアルミ製の手すりのはめ込みが抜けてました。意外と抜き差しだけではめてあるだけなのね。で、抜けたアルミの引き抜き材は、うまいぐあいにハメ直して緑色のほそい針金で縛ってありました。これ、業者じゃなくて見るに見かねた近所の人が好意で直したみたいな仕事です。

車の運転もまだ気をつけねばなりません。先日も夜浮き上がったマンホールに気がつかずサスペンションを使いきりました。

三高下の、マルイの向かい側にでかい段差ができてます。鋭角で城東に向かう歩道よりです。いちど補修したのにまた沈んだみたい。西友跡地はなにやら工事中。駅前にあんなでかいガランドウを放置してどうするのでしょう。郵便局の先にもいくつか建物を撤去した空き地が生まれました。

空き地が増えて風通しが良くなりました。

那珂川から上がってくる風が抜けるからなのか、水戸芸術館の日陰はなかなか涼しかったです。噴水は止まってたのだけれど、外壁工事の職人さんが「涼しいねぇ」ってお昼に涼んでました。

家に帰る途中の民家では瓦屋さんが仕事をしてました。屋根の上は熱くてと仕事にならないって。