書評は淀川方式 デザインは稲川方式

◆書評別名義で書評を書いています。原則、悪口は書きませんね。悪口を言わないことを、僕はかってに淀川方式と読んでいます。淀川先生は配給会社の人だから、商売の種にはけちをつけませんでした。すっごくつまんないロマンスとか、風景誉めてましたもん。それみて、ああ、淀川先生、今日の映画はお嫌いなんだなーと推測。意外にあのおじいちゃんアクション好きなんで、セガールにのりのりだったりして面白がってましたね。まあ、シュワルツネッガーとお風呂はいりたい人でしたから。本を読むとかなり辛らつなことを言う場合もあるけど、テレビの解説では絶対にけなさなかった。

それに見習って、僕もパブリックなところでは本の悪口を言わないようにしています。ネット上は公ですから、あんまり悪口はいいませんねえ。どんなひどい本でも誉めますよ。良い紙だねえとか、印刷所が素敵とか。コクチのケヅレ具合がオツだねとか。まあ、そこまでやると逆にいやみになりますが、本好きが売り手にまわったわけですから飽きませんねえ。女衒は女の子をけなさないでしょ?あれといっしょですね。いやなら触らなきゃ良いんだし。

古本屋が本を売るのと、配給会社が映画を売るのは同じなのかなと。どちらも他人が作ったものを流すことで稼ぎますから。生産能力はお互いにないと。エンターテイメントをお客に渡して、物を作らないなんてのは虚業の最たるものですから、商売で敵を作る理由はありません。私の場合、本を商売として扱います。当然本にはお世話になってまして、悪口なんかいいません。また、こんな二番煎じ作りやがってとか、文章くらい構成しとけよとか、ニ流の文章は読みにくいとか、編集者はもちっと物を調べろよとか、そーいったことは一切いいません。ま、思うだけ。

なにせ私はなにも作っていませんから。それに、編集の人も出版の人も、自分の作ったものをけなされたら嫌じゃない?古書店主って印税を払うわけでもなく、勝手に二次使用で食ってるわけですから。なんか悪い気がして。新品の本が売れるようにって観点で、書評は書いてますね。

まあ、悪口を言うとしたら、取次ぎのことぐらいですかね?出版社はなんか、小さいところほどシンパシーを感じてしまいます。

◆稲川淳二氏にプロダクトデザイナーの真髄を見る。月曜かな、NHK見てて。商品開発のOLさんが上司と営業の人と会議して雑貨のデザインを決めてて。それがウサギの人形で、ああ、それ俺が開発してーなあと。でも、実際のデザイナーさんは交渉力と調整力が必要なんだそうです。じゃあ、俺は無理だなと。OLじゃないし。

想像するとすぐにわかりますが、たしかに営業サイドが要求する内容と、工場が作りやすいのと、客がほしいのとデザイナーが作りたいのと、上司がGOサインを出すのって、全部違うでしょうね。デザイナーってその間を取り持たなくてはならないし、取り持ててはじめて、物ができあがるから、デザイン力より腰の低さが必要なんでしょう。

デザインというとわりかし我の強い人間が扱うように思うのですが、現実には違うみたい。稲川淳二レベルの根回し力がないと、プロダクト・デザイナーにはなれないんでしょうなあ。実際に稲川氏はデザイナーですからね。車どめとか、見たことのある機械をつくってるそうで。日本のエットーレ・ソットサスなのかもしれないけど、怪談話が得意な機能は本家のソットサスについてないから、稲川氏の勝ち。

http://www.j-inagawa.com/profile/