素足のジュン

はだしのゲンが閲覧禁止なら、対抗して「素足のジュン」を漫画化して読ませるとよい。

「素足のジュン~マンガ石田純一物語~」

問題は、東尾父が賭け麻雀をしたときのことを書かないとならないので、賭博が子供にみせちゃなんねぇってことになって、ゲンのとなりの棚にしまわれそう。ゲンを隠した人は子供が読むべき本なんてものはコノ世には存在しないことを今一度考え直した方が良いと思います。心の清きの皆様に置かれましては違うご意見かもしれませんが。親の中でもうるさがたが禁止するってことはその誰かの親の視界に入ったってことなので、ぼんやりしたあいつでもようやく「はだしのゲン」くらいは見えたのだなあ、良かったなあ坊主と褒めてあげるか放っておくべし。

見えないところでもっとえぐい表現をすれば良いとおもいます。どーせいまの子供はマンガが紙の本である必然がありません。ネット上に流通する、誰も管理できない電子フォーマットのFree!の同人誌とか薄い本とか勝手にみてると思うのです。こんな時代に紙の本をちょっとばかり規制してみても、いまさらどうなるものでもありません。世に流れる、とくだん主張のない本よりは、まだ主張のある「はだしのゲン」のほうが良心的でしょう。

実録昭和猟奇事件 (1) (実録昭和猟奇事件 1)
おおくぼきよし物語。たしかにこれは小学校の棚にあったらまずいかなとおもうけれど、司書さんがこれを入れるとは思わないのでセーフ。

私も年齢だけは子をもつ親の世代になってしまいました。大人というものは昔から手塚治虫は良くてほかがダメ。よく分らない理由で規制します。アダルト要素と残虐描写がダメみたい。大人の反応のなかで端的なのはエンターテイメントを拒否すること。単純に面白いものは規制したがり。つまらない説教クサイものはやたらと押してきます。大人は絵が古いのとか戦時中に苦労した話とか大好きですよ。国営放送の朝のドラマも、昭和の苦労した女の話ばかり書きたがります。「おしん」からクドカンの手前まで全部そうでしょう?

本の良しあしは読み手が決めればいい。感性が発達途中の子供が判断すればよいわけです。隠して見せぬは逆効果。積極的に悪い物を含めて見せていくほうが、子供の成長によいのではないかと。文部省推薦といって人が溶けるはだしのゲンのアニメなんか見せるくせに、天才バカボンでバカボンパパとバカボンが寝てる間に体を丸鋸で切られる話はくだらないというのがヤツラ大人の意見です。

さいきん本屋に近づいてないので良い本がどれか言えませんけど、個人的に面白いなとおもう本は、朝ヒ新聞の戦時中の縮小版ですね。あれは面白い。いま反戦気取りですけれど戦時中は時流をあおってたわけで、連中がなにか正論をいうたびに「どの口で言う!その口か!」と思うばかりです。

2013年 課題図書
千葉県匝瑳市(そうさ)の図書館の課題図書です。本好きの図書館のひとが選ぶ推薦図書は良い本がおおいので悪い気はしません。

夏休み非課題非推薦図書?<読書のすすめ by Toppo >
こちらも良心的。

時間があるときに、沢山くだらない本とつまらない本を詠んでおくと、将来面白い本を見つける試金石になります。そういう意味でタレント本とか流行に乗った本も読むいい。負の読書も貴重な経験です。そういうのがあって初めて、良い本と悪い本の区別がつきます。そして、マシな大人とどうしようもない大人の区別がつくようになります。だから秋田書店が雑誌の懸賞をちょろまかしてたときいても、秋田ならやりそうねで納得しておしまいです。新聞やテレビの論調はメディアが人を裏切ったなんて切り口でVTRを作りますが、あれはディレクターレベルでの要求がそうなっているから現場は作るしかなくてかわいそうねって思いながら観るのが正しいものの見方です。どうせこの世は嘘ばかりです。誰が嘘をつくのか指折り数えてメモしてデータベースに登録して覚えておきましょう。。

タモリの一言でブーム終焉となった「一杯のかけそば」|ネオの【いたうなすかし給そ】
寺の乗っ取りまで含めると、この話は素敵。