コミュニケーション能力検定一級

コミュニケーション能力が高い人を欲しがる会社は本当にコミュニケーション能力が高い学生が欲しいわけではなくて、言うことを聞く子が欲しいだけだと思うんです。日本語が通じれば十分なんですけど違うの?

行間の読める子なら

隷属 反抗しない 上意下達(じょういかたつ) フレンドリーな社風 みんな仲良し 飲み会断るな

なんて行間が読めてしまいます。

では、学生なり求職者はコミュニケーション能力についてどう向き合えば良いのか。コミュニケーション能力なんて曖昧なことを言う場所には近づかないことです。仮にそんな能力があったとして、年上の顔色を見るとかお酒が飲めるとかゴルフをやるかとかどうせくだらない能力なんだろうなと思って近づかないこと。赤の他人のことなんて分かりやしないって考えれば能力なんてものを問わずに済むし生きやすいですよ。話が通じないのは自分が悪いからなんて考え出したら自滅してしまう。鬱になったり青春ノイローゼになって自滅してまで話を合わせないと行けない相手なんて居ませんよ。絶世の美女とかならともかく、たかがその辺のおっちゃんでしょ?

会社なり組織がそんなに気心の知れた人とばかり付き合いたいんなら幼なじみを集めてとずっと仕事をすればいいんだし入社以来同じ釜の飯を食った人ばかりで仕事を回せばいいの。世代格差でディスコミュニケーションを増やすなんて意味がわからないことに労力を使うのは無駄なのであります。

技術の継承なんていうけれど、属人的に伝えねばならない技術ってそんなにないでしょう・・・いや、あるな。職人がいう仕事を盗む技術ってのは、コミュニケーション能力には入ってないことにされてるけれど、かなり重要ですね。

私の場合に限るが通じなさそうな相手には通じないことを言わないから通じないことに関して葛藤がありません。だから、コミュニケーション能力の有無について考えたことがない。この人は通じるか通じないかだけがあって、通じないことに何の感情も起きません。だって通じないのが当たり前なのだから。

会社なんてドライでよくて、通じるかどうかだけで動かせばいいのに。ことコミュニケーション能力を問う場所はウェットで意志がお互い通じ合わないといけないような空気を出すのが気にくわない。私が気にくわないって顔をしていることは立派とは言えませんがそれはそれでコミニュケーションなのだけれど、正しいコミュニケーション能力は俺の言うことを聞けの人たちからこっちを観るとコミュ力が低いと言われます。こっちの顔色を読まずに一方的にそっちのを読めというのがいわゆるコミュニケーション能力なのです。だから若い人ほどコミュがどうこう言うヤツに近づいちゃ行けないよ。