テレビ局が映画をつくると、映画になりません。映画とテレビの違いは結構大きくて、ドラマをつくるときにテレビドラマと映画は別の造り方をします。
むかしはわりと両者は近接していたのですが、いまはシナリオ協会と揉めて追っ払ってしまって、高い原作料を出版社に払ってマンガのネタを引っ張ってこないとテレビの人がつくる映画はできあがらなくなりました。
テレビはやっぱり、作りたくて作っているのではなくて仕事で作っているところが見え隠れします。映画も適当につくればいっしょですけど。
映画はまだ、お客を選べます。千円なり二千円を払ってくる人むけに作るので大衆向けとはいえある程度のフィルタなりザルなり濾紙を通ってきます。テレビはその点、だれにでも分るように作らなくてはなりませんから、見た目で説明せねばならない。
マンガも、見た目で明らかに悪い人物を作るし、女の子は過剰にかわいくしないとかわいくならないし、キャラクターも容姿で性格決定がきまってしまいます。
映画は自由で、人物描写の幅は広くとれますが、アニメの場合は縛りがあってツインテールなら勝ち気にしないと落ち着かないみたい。わかりやすくつくるのは歓迎ですけれど、あまりにわかりやすすぎると、よっぽど理解力のない人むけなのかなあと心配になりますし、見ようによってはバカにされている気分になります。
例えが難しいのですが。
置き手紙を残して大事な人が遠くに行ったとします。悲しいシーンの、泣く芝居はテレビと映画では異なります。
テレビの場合。「どうして黙って行っちゃったのよ!」机をたたきながら泣く。カメラは右から回り込み。顔を上げたところに寄る。涙は見せる。
くどい演出になります。
映画の場合。手紙に涙が落ちて濡れる、だけで充分。手紙を封筒に戻して引き出しに入れるでも表現できます。だれと別れて、どういう気持ちなのかをお芝居で表現できます。そのくらいの余裕があります。
テレビはとにかくくどい。映画はあっさり作れるしやろうと思えばくどくもできる。時間が使えるので演出する人のプランと芝居をする人のプランを両方試せるのが映画。テレビはたぶん、その余裕が無くて要求されているお芝居は悲しい場合は「悲しくみえること」が命題になってしまいます。
そのあたりの違いにこだわる嗜好品として映画はありますので、テレビの人はなるべく面白いテレビを作っていただいて映画は、あんまりやらない方がよろしいかと存じます。