熊本の人がんばれ

地震の予知は出来ないと思っている茨城の人です。

震度3は揺れたうちに入りません。震度4位になったら「おっ」と思うようになりました。ガスコンロで炒め物をしながら揺れても火を消さず、どうせ自動センサーで止まるさとおもった2011年の4月。

あまりに揺すられすぎて、地震のたびに震源と震度、深さまで分かるようになりました。地震の震源を当てるのは割と簡単で、震源に近い方から地鳴りがします。安普請の家で寝てるときや屋外なら簡単にわかります。

次に震度。震度は私が子供だった1980年代は気象庁のおじさんが感覚で決めていました。1990年くらいになってようやく地震計での震度を発表するようになりました。

震源はおよそ四箇所なので、半分くらいの確率で当たりました。

  • 宮城、福島沖の海底
  • 茨城県北部
  • 茨城県沖
  • 茨城県南部

宮城県、福島県沖ならば、北から地鳴りがします。揺れ方で向きもある程度分かります。縦長の家に住んでいるので、ある程度揺れる指向性から方角も分かります。

茨城県北部が震源ですと、初期微動継続時間が極端に短く、日立のちょっと北であると分かります。宮城福島県沖と、同じ北側が震源の地震ですが、初期微動の違いで判別出来ます。

茨城県沖と茨城県北部の地震の違いはどこにあるのでしょう。震源からの距離が同じ場合初期微動継続時間の長短では判別出来ません。茨城県沖の場合は揺れがマイルド。北部が震源のときは揺れが鋭く、揺れる向きが半分、揺れ方がもう半分で2つの要素で区別していました。

茨城県南部が震源の場合は突き上げるタイプの揺れとなります。北なら福島か日立、東なら茨城県沖、南なら南部と向きさえ分かれば地震速報より前にどこが震源か分かってしまうのです。

熊本もおそらく毎日揺れていますから、阿蘇、大分、熊本市内のいずれかは一直線上にあるため初期微動の長短で区別ができるはずです。試してみましょう。答え合わせはすぐできますし、敵る居る場所が分かるだけで気が楽になります。

地震の予知はできないと思っています。地震予知否定派のロバートゲラー博士がいうように、マグニチュードがひとつ違う地震なら、たとえは当たっても予知ではないという理由も分かります。科学の子ならいまある予知と言われる方法は殆ど役に立っていないことが分かるはずです。

ゲラー博士も指摘されていた国による被害震度予想なんてものは役に立ちません。

第三文明社 2008年5月刊
第三文明社 2008年5月刊

ただ、木村教授の2008年の本の表紙で熊本に×が着いているのがきになります。この赤い×は私がマジックで書いたのではなくて本の表示です。


電波とGPSでも熊本は当てられませんから、発生確率なんてものは言えないはずなのです。

2005年のべつの本見ると、東北の地震は30年以内に絶対起きるとありました。発生を1とした場合、2011年はグラフの線が0.27をさすので発生率は27パーセント。これを高いと見るか低いと見るか。同じ本で熊本は30年以内に0-6パーセント。でも起きてしまえばパーセントなんて意味がありません。

エコキュートこと蓄熱式温水器は1000ガルくらいになると軒並み崩れます。台風の多い地域で屋根に土を載せて重くするため古い作りの家は崩れてしまいました。

平成28年熊本地震 PART8 – YouTube
この方の家は平成の工法で断然丈夫で、揺れさえ我慢できれば家で暮らせると思うのですが、テントで生活されてPART9では久留米のほうに逃げています。

わたしが食らった海溝型の遠くの地震と直下のそれとは比較になりませんが、あの家は 震度7でも崩れないから家にいらっしゃればいいのになと、考えてしまいます。

東北大地震の時、私もビデオを撮っています。ただ、「このビデオを君がみているといことは、私はもうこの世にいないのだな」なんてことは思わず、死は遠くにありて実感なきものでした。

避難所に必要なもの

米さえ炊ければあとは暇のつぶし方が重要。現実をみると辛いから、浮世離れした小説とかがよろしいのかもしれません。西村京太郎サスペンスとかSFとか。床屋、ラーメン屋によく置いてある劇画とかいかがでしょう。一話完結のゴルゴ13。こち亀。おじさんワンピース無いの?って子供に言われそう。

ガラスの仮面みたいに続き物は揃えないといけないから嵩張る。

スポーツをする子はスポーツ選手がくるとうれしいのでしょう。スポーツに思い入れのない私としましては、無理槍付き合わされたらそのスポーツ全体がきっと嫌いになります。それよりも藤子F先生の本を読みたい。

5年前はなにを読んでいたのか思い出してみます。けっこう軽い本ばかり読んでいたようにも追います。マンガ日記とか。

自分のブログで当時を振り返ると、ガソリンがないから自転車を整備して写真を撮りあるいていました。今見るとそんなに枚数は撮っていない。観察してました。

わたしが唯一人の役に立ったかなとおもうのは、使ってない古いデジカメを人に渡したこと。商売をやっている家でしたので、絶対すぐに家を直すだろうなと思って偵察しに行ったら案の定掃除してて、津波の痕跡がどんどん薄くなってくる途中でした。

画素数が数百の古いデジカメです。枚数制限もなく活用してもらえました。デジカメに拒否反応を示す年寄りには「写ルンです」のほうが都合が良いのでフィルム式にしましょう。現像代は同じです。