時限装置

本日はちょっとだけ涼しいので日付が変る前にふとんに入る予定。

暑さとストレスといろいろでダウン。基本週末は家でじっとしていたい派で、平日も家で本当はじっとしていたい。太陽光から獲られるエネルギーを効率よく使えば労働という悪習自体無くなるはずなのに、どうしていまだに人類は働くのか。

仮にエネルギーが充足しても人間の活動が負のほうに作用しているだけではないか。天明の大飢饉のときに東北の各藩は米をかき集めて市場に回したけれど、そもそも東北で米を作ること自体が間違っていたのではないか。東北なりの作物を作って自足していればもっと幸せになれたろうに。年貢を納めた先で不正が横行して結局経済が混乱するという人災が起きるなら藩いらなくないか。

某団体が片付いて、いくつか情報を眺めておりますと新宿駅で時限装置を作った記事発見。時限装置というものはだいたいがうまく動かないのです。信頼度があがるほど作り込みをしませんし、製品ないし市場もないし。

「太陽に吠えろ」の時代は目覚まし時計のベルを使ってましたけど、あれほんとにうまくいかないみたいで時計の針に接触端子を付けたりいろいろやってますけど、某「狼」の人たちも鉄橋に仕込んでは失敗してましたしヒトラー暗殺の人はもっと雑な装置で、しかも失敗。時限装置はスマートさと確実性に欠けます。

アルマゲドンも時限装置がいまいちでした。あの団体の人たちも最後は時限装置ではなくて傘の先端でビニール袋をつついて破る確実度の高い方法に切替えてまして、もうちょっとバランス良く開発しようとは思わないのでしょうか。