恋は難問

近所で焼き物の展示があったのでふらっと見てきました。技法について知見を得ました。若いときは全然興味がわかない焼き物。年取ると気になるのです。

年を経るとそのうち演歌も聴くのかなと期待しておりましたが、わたしは全然そこは行かず。もともとニューミュージックとアニソンでできています。浪曲はいける口。

演歌の成立が、端唄小唄、浪曲の要点だけを煮詰めて作ったと何かで聞いて、そういうものかと腑に落ちました。短い時間で効果的な演出。長唄をぜんぶ聞かずに泣けるところだけを出してくるのが演歌だそうで。

作曲家の先生と作詞家の先生と編曲家の先生と歌手という人員構成です。あと10年生まれるのが早かったら聞いたかもしれませんが、どうも演歌は苦手。

日本の詩歌全般に言えることですが、どうも恋の歌が多すぎです。万葉集はだいたいそんな感じ。おまじないとかしちゃう。心性が小学生向けの少女漫画雑誌みたいで、あんまりわたくしとは相性がよくありません。若いとき新古今和歌集を読んでいていいなと思うのはだいたい武士が風景を読む歌でした。

そして今。四半世紀を経てやっぱりというか当然というか、恋の歌は苦手なままです。枕詞をおいて、なんだか煮え切らないことを言ってるなあとおもうと、だいたい「あなたは来ない」か「会いたい」です。

心理的同調ができる人は、国語で100点を取れると思いますが、わたしは情に薄いため、その手の設問がくると当てられなくなります。この歌を詠んだ時の作者の心情を選びなさいと言われても、そもそも私は「そこまで会いたくない」人なので、「会いたい人の気持ち」が推測できないのです。

現代文のうち恋の話が出ない限り好成績でした。

説明文のほうが好きですけ。作ってる人とか研究している人とかとは話があいますし、そういう人たちが書いた説明文はこのんで読んでいます。

先日「ふだんどんな本を読んでいますか」と問われて「戦前の軍法会議の調書」と答えそうになって返答に窮しましたけれど、それ以外は人文全般を読むようになりました。昨日の高橋源一郎のラジオで、Rブロディガンの翻訳者がでてきて、二葉亭四迷の翻訳を引き合いに出し、新しい概念は翻訳で輸入され、そのとき新しい概念について新しい文体が必要だから、翻訳者は必要なのだとおっしゃってました。

ここしばらく気になって調べていた「文体」についてでしたので、よく理解できました。説明文は得意なのです。

たまたまみつけた展示会で、作家がいらしたので焼き物の手法の説明、石材加工の手順、彫刻家のノミ手つきを見せてもらって大満足でした。

そう、技術、広い意味でのアートが好きなのかもしれません。

恋とアートの好き具合は人それぞれです。恋愛に全振りの(恋:アート=10:0)人と、わたしみたいに全部は振っていない人が居ます。(恋:アート=2:8)からすると「恋する作者の心情を次の5つから選べ」は難問です。