英語で考えよう

2011年今年の課題。
ポルトガル語とロシア語をなんとなく眺めて見る。
旧制高校張りにラテン語を先にやると早いのかもしれない。

作詞家の阿木曜子さんがラジオで、日本語の大切さを解いてました。
ものを作るとき。たとえば英語で作れるかというと、つくれないだろう
母国語だから良いものが作れるのではないか。

それを聞いて私が思うこと。

会議が英語の会社は絶対に英語のままで暮らして欲しい。

ぜーったい変更しないでね。

日本の自動車メーカーが英語で会議をしてインチでものを作ったらアメリカンな大雑把ものが出来そう。是非、設計陣も英語で考えてもらいたい。むしろ通産省、もとい経産省はインチを普及させるべきですね。

英語の会議なんて想像もできませんが、あの洋服屋も「仕立て」ではないから細かいことは英語で充分なんでしょう。変な色のシャツも、あれは英語なら色見本があるんでしょう。萌黄色とか、鶯色なんて中間色は倒産しても使わない会社だし。縫製もミシンでまっすぐ縫う位の話しかしないんだろうし。

アングロサクソンは人間を不幸にする―アメリカ型資本主義の正体 (PHP文庫)
大手ネットショップの元締めもアングロサクソンになりたいのでしょうから別に平気か。
商科だし。

そうやって考えると、日本人は随分受身だこと。

植民地根性?

近隣諸国を占領して日本語を強制したときの感覚のまま、今度はGHQ攻めさせて悦に入っているように思います。そんなに英語で話したいなら、英語でものも考えればいいじゃないか。ここで使う英語をは日本人が思う英語で、実際に英米で使われている英語ではないのでしょう。

ものの考え方は言語によって成り立つはずです。だから、言語をかえると考え方が違うはずなんです。つまり、考え方を変えてしまう

だから、今の自分とは別な思考をもつ別人格になるのです。

つまり、自己否定ですね。

想像するに近代自我に葛藤がない人達。
そういう人達が母国語を捨てて、あらたな人格を作りたいのです。
自分のない人ほど、新しい自分を見つけようとします。
しかし、スタート地点がない人にはゴールもありません。

日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと? – 文学 – 教えて!goo

最初の話に戻しましょう。
英語には「謙譲語」そのものはなさそうです。
日本語でものを作ると、「謙譲語」があるので有利です。

日本製が優位にあるためには製品に「謙譲語」を入れるべきだと思います。
でも、あいつらには無理なんだろうなあ。

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