センター私見

センター入試の国語の問題を読んだ。本文だけよんで、設問は読まなかった。小説は読み応えがあったが、人を惑わすような問題など当たってもうれしくない。

センターも専門の参考書を理解すれば当たるようになるのかもしれない。当てる理屈があんまり楽しくない。問題が解けても、それは問題をつくるおじさんの頭の中が分かっただけで、そんなものは受験生でもない限り知りたくない。

小説を書いた人には興味があるか、試験にされるとつまらない。

読書離れの原因であろう。読書嫌いを増殖するには、本を無理やり読ませればよい。今年の芥川受賞の人みたいに、子供のころから親が読み聞かせなど決してしてはいけない。試験試験試験でよめばきっと読書嫌いか、試験はできるけど小説が理解できない変態を産むだろう。

なんでセンターが嫌いなのか。いまもう一度センターの国語の設問を読んだらわかった。設問を書いてる人が嫌いなんだ。こんな底意地の悪い人にはなりたくない。思想統制の匂いがする。この小説はこう思え!と強制される。そういうのは昔からすごく嫌い。私には向いてない。

試験というのは、試験をつくるひと、この場合入試センターの思想が色濃く反映される。

美少女キャラで例えると(なぜそうなる)「こんな子がいいなあ」と選んだ結果は、その人の趣味がそのまま反映されるのである。べつにグラビアアイドルでもいいけど。

選択肢は異性の趣味が違うように人それぞれ異なる。試験にしてはいけない。ブルネットでブルーアイの大女がニーソックスを履いてると最高!って人が出題者になって、次の写真から正しいニーソックスを選べって文字列が並んでるとして、私には答えを当てる自信がない。いや、これは悪くないとおもうが、そんなに思い入れがないし。若干趣味も違うんですけど。ぱっと見一人短いぞ?くらいで思考停止。

センター試験の選択肢が気に入らないのは、もうすこし柔らかくいうと「好きなAKBは誰ですか?」と聴かれるのにちかい。AKBの中からしか選べない不自由さがまずだめなのだ。そこに眼をつむれる人を選ぶ試験として機能してるのは、おにいさんはあんまりよくないとおもうぞ。だから、最初から大女もAKBもどうかとおもうひとは埒外。

婆さんと猫…(2011 センター試験 国語): 不二草紙 本日のおススメ
文芸だから、試験でつかうのはよくないと思う。

感じ方の統制だもの。やるのなら、小説を書かせるか早押しクイズにすればいい。





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