どの山かわからない

聖蹟桜ヶ丘から薬科大の横を抜けて自転車で八王子に遊びに行っていた時期があります。
若気の至り。
野猿街道をそのまま走ったのではなく、たぶん、個人的に生きたい道を走ったと思います。
片倉の広い通りを抜け多様な気もするし、斜面に寝そべったようなマンションを左手に見ながら坂を登ったような。
八王子に降りる手前に峠があって、それがうねうね下っていたことを記憶しています。

asahi.com:住民、子への影響懸念 八王子-マイタウン多摩
サバイバルゲーム場:八王子に建設計画 住民、市に反対署名提出 /東京 – 毎日jp(毎日新聞)

ゲームフィールドを文教地区のすぐ横に作ろうとしたら住民から反対署名が1万件。
程度によりますが、あんまり学校に近い場所に作るのはよろしくないと思います。

一方でそんなに反対されることかなとも。
「教育」に錦の御旗を見てしまう人はこの手のフィルターをかけたがります。
彼らは了見が狭いというか、汚いものから遠ざけると綺麗になるとでも思っているのでしょうか。

そんなの短絡。

何でも反対してチャンバラもゲームもしないから、ある日突然キレるんです。「キレる子」は「キレること」がいけないのではなくて、「怒りをコントロールできないこと」が問題です。母性は「怒らない子」を作ろうとします。でも、そんな怒らない「人間」は居ないません。「怒り」であるとか感情の「負の側面」から目を背けることを「怖く」感じてしまいます。

クラスター爆弾をお土産に持ち帰える軍事音痴の新聞記者がいました。彼は「戦争をしている国」に行っただけで、「戦争地域」には地域にはいかなかったのでしょう。もし危ない場所だと自覚していれば、絶対に不発の子クラスター爆弾を拾ったりはしないと思うのです。日常の延長で戦場に行けるのは、他人の悪意を知らないから。日本が平和になった証ですからありがたいと思いつつ、そんなぬるい人たちがやり放題になればろくな未来はないなとがっかりした気分になります。

新聞記者も、もう少し上の世代は焼夷弾が転がっていた戦後を歩いていました。その下の下、今の世代は綺麗な無機質の「怒ってはいけない世界」で純粋培養されてた結果、政治も記者も経済界も含めて「不甲斐ない人」と「筋を通そうとしない人」が増えてしまったのではないでしょうか。

だから、もしいまどこかの国と交戦状態になったらまったくジャーナリズムとして「新聞」は機能しないとおもいます。

政治の方はもっと怪しい。

フリーの人に期待するしかないのでしょう。

このへんの人がいなくなったとたん、あの政党は「小学校のPTA」みたいになってしまいました。
べつに良いけど。
田英夫 – Wikipedia

最初の話がどこかに行ってしまいましたが、戦場はここらしい。
八王子市中山