文学の衰退と京アニ

【衰退したのか】
いきなりですが、文学は衰退したのかどうかは知ったことではありません。
そもそも「文学」が衰退するほど隆盛を極めたような気がしないし。
読んでないし。当方ノンフィクション専門だし。

小説はあんまり読まないので知らない・・・
それでも戦後焼け跡世代、昭和一桁から30年くらい迄に生まれた作家の小説なりエッセイは面白いので読むようにしています。作家の歳が若くなって、高度経済成長以降に生まれた人のそれを読んでも面白くありません。

原稿用紙とペンだけで勝負している時代から、ワープロになりパソコンになり、作文は簡単になっているはずなのに、作家が若くなると読みたい文章が無くなるのはなぜでしょう。みんな貧乏じゃなくなるとダメなんでしょうか。もしくは読んでる私が古くさいからか最近の作家に付いていけないだけか。

【京都アニメーションが栄えて文学はどうなる】
京都アニメーションが隆盛を極め中。
「文学」というと大きすぎて分からなくなるので主語を「京アニ」を変えてみましょうか。
しばらくなさそうだけれど、仮に京都アニメーションが衰退したとします。
それは「表現するもの」が無くなったときどうしようもなくなる筈。

では「表現するもの」とは何か。「日常」にドラマです。

日常を描くことで、本来は何もないはずの「学生生活」を延々と描くことができます。
「ワンパターン」のなかに表現したいことを込められる。
繰り返すことで様式が出来てきます。
年末に『忠臣蔵』を繰り返し見てしまうのは、「様式」を楽しめるからです。
「広告主」の都合かもしれませんけど。

これら繰り返しの「物語」で作者が「言いたいこと」は、「日常の機微」です。
ここは演出家と脚本家の腕の見せ所。
一見すると「ワンパターン」は貧乏くさいのですが実は相当に高等なのです。

【ワンパターン】
「繰り返し」ぐらいしかものが作れない閉塞感があるのかもしれません。
やることはみんな上の世代がやってしまったのでもう残っていないのでしょう。

ただ、才能というものはそんな中から出てくるので、
ある日突然面白いものが見られるかもしれません。

才能のある人がモノを表現する舞台を文章からアニメに変えただけと、
今は好意的に解釈しておきます。
ただ、ひとつだけ心配なのはアニメがその辺の一切合切を持っていかれること。
「詩」や「文芸」に来たかもしれない人員が減るかもしれません。
小説がどんどん「小粒」になっていくのかなと思います。

まあ、どっちにしろ読まないんですけどね。

本当に今の日本文学は衰退してるのですか?どのように?何故? – Yahoo!知恵袋





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