伊東美咲と栗山千明

伊東美咲と栗山千明

美人の基準は学習環境で変わる

資生堂マキアージュ 【フラッシュ・音あり】

キャンペーンで採用されたタレントはきれいだなと思う。

  • 元東京パフォーマンスドールの篠原涼子。群馬出身。
  • 栗山千明は土浦出身。
  • 伊東美咲は福島。「いわき」だそうな。

美人だ、といわれてハイソウデスネと納得できるのはこのあたり。私の場合北関東周辺の美人さんには違和感がない。それは私が北関東で生まれ育ったから、かもしれない。意外に「僕が思う美人」は「資生堂の思う美人」と同じだ。

名古屋嬢はそれほど美人じゃないと思う。北海道の美人はわりと納得するが、大阪製作の番組で美人として出てくる人は美しく見えない。もし私が名古屋や大阪で育っていれば「美人さん」の基準も変わったのだろうか?

「美人」と「好きなタイプ」

「美人」とは個人間で使う言葉ではない。第三者に説明するよそ向きの言葉だ。つまり、「美人」は主観ではないのだ。主観は「好きなタイプ」である。だれかを「美人」であると評するとき、裏にはこんな意味がある。

「僕が思う世間一般では、あなたも美人のカテゴリーに入ります」

社会的な定義に合致しているかどうかであって、好きか嫌いかは一言も言っていない。だから(読んでないと思うけど)女性の皆さん、「美人」といわれて素直に喜んではいけません。「美人かどうかは関係なく、お前は俺のタイプだ」といわれるまでその喜びを取っておいてください。

学習環境によって変わる「美人」と「タイプ」

話の接ぎ穂がほしいとき、誰を「美人」と思うか訊くと面白いだろう。答えた人の社会感、階層といっては言いすぎだがどこの社会に属しているのかみえてくだろう。「尊敬する人は誰?」と訊く質問と同じで、お前それかよと、その人の人となりが出る。

当然「間違えた美人」も出てくるだろう。腹筋が割れていないといやな人や、巨漢じゃないとだめな人も居る。それは「美人」を学ぶ上で使うテキストを間違えた場合が多い。ビキニ美女がマシンガンを撃つビデオとかハーレーにまたがる映像ばかり見ているとあれが「美人」の基準になるだろうし、よく読む雑誌「美しいキモノ」の人と「米国版プレイボーイ」の人なら、当然基準外れるのだろう。

誰をさして「美人」と思うかは、その人の個性よりも育った環境なんだなと思う。