那珂湊八朔祭りの、お浜入りという行事です。
お神輿を海中に沈めて清める見応えある神事です。
天満宮は那珂湊公園の下のにある神社です。
神社の近くに和菓子屋があり、立派な作りに驚かされます。
それ以外にも那珂湊にはなぜか和菓子屋がたくさんありまして城下町の風情。
那珂湊は水戸藩の管轄ではあるけれど城はなくどうして栄えたのでしょう?
江戸時代は物流が海運だったからです。
江戸の台所と言っても過言ではない物流拠点だったんです。
水戸は戦災で焼けてますが、那珂湊は古い建物が残る黒っぽい場所です。
うだつの上がった家があって、日本史無知な若いころは漁師大儲け!と思ってました。
水産と海運繁栄の名残りだったんですね。
昭和に入っても物流拠点として重要な位置はそのまま。
海産物を平磯と那珂湊であげて、那珂湊線の鉄道で勝田へ。
常磐線で大消費地である都心に向けていろいろ送っていたわけです。
ざっと昭和の建物を観ても那珂湊には金が唸っていた面影を見て取れます。
金が唸ると歓楽街が発達します。
那珂湊から離れた、涸沼湖畔の網掛(あがけ)に海老沢。
街道沿いの長岡にも、同様の遊び場はあったそうです。
豊かな自然に抱かれた涸沼湖畔の繁栄が長く想像できませんでしたが
那珂湊と船でつながり、同じと考えると理解しやすくなります。
舟遊びをしてお泊まりして昼間帰ってくれば良いのです。
なんだか楽しそう。
那珂湊はいまでも映画のセットに使えそうな建物がたくさん残っています。
いっぽん裏のとおりなので、那珂湊魚市場に車でふらりと来ただけですと
そんな古い建物の存在を知らずに通りすぎてしまうでしょう。
みると、古い商店や時代劇にでてくる茶屋のような構造です。
集まってならべれば小江戸川越に匹敵するかもしれません。
まあ、地元の人はそんなの観光資源になるなんて想像もしてないでしょうけどね。
古い建物は痛みがでてますが、地震でも平気で立っているところをみると
構造材がよほどしっかりしているのでしょう。
三味線お囃子に「磯節」が根付いている那珂湊。
縁があってよくウロウロしています。深い歴史があるんですね。
歴史のある場所ですからお祭りは派手になり、皆さん燃えるわけです。
ちなみに映像のお神輿を担ぐ集団は、那珂湊全部の総力戦ではなく、持ち回りの「担当地区」です。
那珂湊の、神社の氏子のなかの、一部部分でこれだけの人を出せる那珂湊。
地域の底力は、県内でも頭一つ抜けているように感じます。
那珂湊天満宮御祭礼
神社について
常陸平氏系『太田氏』>[常陸國那珂湊天満宮と東條常言]
神社の由来
平磯町の懐かしい時代・・・旧那珂湊市平磯町(茨城県ひたちなか市)・・・那珂湊の隠れキリシタンと伊達政宗
那珂湊が繁栄を極めた理由。うちの近所に仙台藩の統治する場所があったとは。
年中貧乏の水戸藩の内実を考えると、勘十郎堀を完成させて物流を仙台藩から奪いたかったわけですね。
www12.ocn.ne.jp/~kyubun/nakaminato.htm
うだつの上がった家。