アイは地球をスクワナイ

気仙沼の打ち上がった船は解体するか海に戻せばいいと思います。

交通事故の記念に壊れた車をおいておく人はいません。船だからって残すことはないんです。町中に船があったら気分が悪いひとが少なからずいらっしゃるでしょう。船は海に帰してふつうの生活に戻しましょう。

モニュメントとして置きたい人もいるかもしれません。観光客が船目当てにくるかもしれません。在京マスメディアは象徴的な船の存在を喜びます。彼らは年に一回見に来るだけです。その場には住んでいません。そんなに欲しければくれてやりましょう。カメラマンはあの船をフレームに収めたら家路につきます。だから、打ち上がった船は早晩撤去してしまいましょう。

船の代わりにちいさな石碑でも置けばよいのです。石碑になっても取材しに来る人だけを相手にすれば十分です。

観たものしかわからない人も世の中にはいます。その人たちのために観たくないものを野ざらしにする必要はないのです。

3.11が近づいてきました。大震災ネタで番組を作るのは悪いとはいいませんが、3.12になっても現場の状況は変わりません。3.11に追悼するのは「24時間テレビ」の募金のように、その場の気分を味わいたいだけの気分の消費かもしれません。

現場が怖くて見に行けないまま二年がすぎました。

奇跡の一本松も、あのエンバーミング費用を新しい松の植樹に回せばいいと思うのは短絡的な無慈悲な意見でしょうか?木として痛んだのなら製材してベンチにでもしてチャリティオークションで売り払ってそのお金で苗木を買って植えればいいと思うのです。あの木を植えた人の心意気を次に伝えるには、いま植えることが大切です。

船はいかがなものかと思いますが、松はあってもいいかな。

若い頃は面と向かってこういうことばかり言っていました。いまは書くだけにとどめております。そうしないと正義の人に怒られるのです。たとえそれが感情の消費という軽薄な行為であってもその人の手に正義があるかぎり私は怒られます。

彼らは次の津波のときに偽物の木が一本植わっている方を望み、町中に船がいつまでも残したい人で、24時間テレビで黄色いティシャツを着てペットボトルにいれた小銭を募金するのです。戦時中に毛皮にする犬を徴発しお寺の鐘で鉄砲の弾を作った人の末裔です。

彼らは善意の人たちです。善意は質を問われません。楽な商売です。