レンズを買わない日

夜うっかりレンズの話をして、そうだ午前中にレンズ発注しよう!とモニターの前に陣取るもお昼ご飯を食べるため一旦休憩。一息ついて改めて値段をみると、高く感じる。性能の良い標準レンズは私には性能が良すぎて使いこなせないだろう。それに、今どきマニュアルでピントを合わせるレンズをこれ以上増やすのはどうなのだ?と疑問が生じたのでした。

月曜日にオールドレンズを調べ、火曜日に望遠レンズ調べ、水曜に標準レンズがほしくなる。

欲しいレンズがころころ変るときは買っちゃダメだ。判断力が鈍るほど疲れているのだ。

休日なのに、家の周りの樹木を切り倒して朝顔の枯れた茎を処分したらもうなにもやる気がでなくて午後は寝てしまった。

夕方起きてみて、やっぱりあのレンズ要らなくなる。

雲台に高さあり

三脚を入れるバッグを購入。カタログスペックどおりの長さを買って帰宅して入れて観たら、雲台分の袋がたりない。雲台をわざわざ外して運用したくないから袋を買ったわけで、間違えました。

昼、謎の丸パン。ハイジにでてくるみたいな。半分に切ってあった。結構重い。どう切って良いのか分からずケーキのような放射線状キリ。切ったあとに真ん中の柔らかい部分を先にいただきました。

レンズホルダー

レンズを交換するときに、仮にココにくっつけて保持する装置。すごく簡単な構造ですが結構お高い。私は八千円が1つの区切らしく、八千円を超えると高く感じます。

三つ叉でくるくるまわる三つどもえの紋のようなホルダーもありましたけど3つもいらない、2つで充分。私の使うレンズはちょっと重めなのでスリングで吊ってつかうとじゃまかもしれない。

そういえば先日八千円の本を買いました。貸し本屋流れの痛み本で、最後の背表紙の裏側に貸し出しリストがあり、名前が書いてあります。日付を見ると人気はさほどありません。もう私のものなのでココに自分の名前を書きたい。

フルサイズミラーレス

夜風が強い。涼しくて過ごしやすい。秋の風を浴びると、脳味噌がシフトチェンジして余計なことを考えはじめます。夏のあいだは暑さをしのぐため、肉体がフル稼働しますが秋になると脳の一部が文化的な活動を欲します。

文化的といっても根がワタクシですから、そうそうハイソサエティなことにはなりません。せいぜいアニメか映画の良いのがないかなあときょろきょろするくらい。キヤノンがあたらしいカメラを出すそうで、フルサイズミラーレスという重いのか軽いのか分からない謎物体になると情報が流れてきます。買いませんけどね。

レンズマウントのリング径をいままでよりもおおきくして、レンズ側にあたらしい風を吹き込む作戦のようです。もちろん古いレンズはアダプタでくっくつそうですけど。買わないなあ。

カメラって自転車に似てて、属人的です。スポーツカーですとたとえば速く走るためにカーの要素が9割。自転車なら半分くらいでしょうか。人間の要素が重くなります。カメラも半分くらいだと思うのです。カメラの性能半分、撮影する人の腕半分。

だから最新のカメラをつねに買い換えてもあんまり意味はなくて、それは自転車を常に買い換える人のようで、むしろエンジンである人間が頑張ろう。

カメラメーカーの社員を家族ごとを養っているお金持ちなら買うのでしょうけれど、ワタクシが出せるのは値段で言うと中古のEOS 5DマークⅡくらいが限界で、おそらく高いであろう最新のフルサイズミラーレスなんて手が出ません。23万もするの?

高くて買えないこと

決断力が弱い。とくにヤラナイほうの決断力。自転車を買いすぎたときに「買わない力」が発生しなかったのはなぜだろう。

買ってしまって、しばらく経過してはじめて「ああ使わない」と分かるまでの時間が無駄。

最初に不要と決めてかかれば買わずにすむし買う手間もお金も無駄にせずに済むのにどうして買ってしまうのか。一説によると(夏休み子供電話相談室より)道具を使うことよりも買うことのほうが快楽の度合いが高いらしい。たしかにあたらしい自転車を買うときは楽しかった。

買って使うことを想像して買う過程が、どうして買ったあとよりも楽しいのかはよく分からない。実体験として言われてみれば自転車に乗っているときよりも買えずに悶々としていたときのほうが楽しかった。

だからカメラのレンズも買えないときのほうがたぶん楽しいのだろう。

それで高いレンズは高いのかもしれない。買えないようにしてるのだ。