スポーツ組織は心が清い

西武の、アマチュア野球選手に対する裏金問題について思う。

べーつにいいんじゃねえの?たかが金銭の授受くらい。「裏金」をもらった170人の氏名を公表できないらしいんだが、公表しちゃえばいいのに。でも、現実は僕が思うほど簡単ではないらしい。

徹底的に調べればプロ野球はつぶれる

 「全然驚かない。全球団同じとは言わないが、球界全体の問題だ」。元オリックス球団代表の井箟重慶(いのう・しげよし)・関西国際大教授は、アマ関係者延べ170人への金銭供与について、こう指摘した。 <<引用 asahi.com

えー、公表するとつぶれちゃうの?

やきゅうがなくなると、夏の間流すテレビ番組がないな。インチキ情報番組もつくれないし、かと言って、どこが面白いのか分からない吉本の若手が仕切るバラエティもつらかろう。テレビ局の番組制作能力がない上に、日本のもの作り自体が衰退してるから先はないなあ。

もともと野球を見る習慣がない私はにはそれほど影響ないけどさあ。どうせ海外ドキュメンタリーばっかり見るだし。どんどん鯨の生態とかエジプトの歴史とかに詳しくなるね。高校時代生物は取ってないし世界史はずっと赤点だったんだけどさあ。

オレの高校時代の話はさておき、いまどきプロ野球選手に夢を持っている子供はいるの?見たこと無いぞ。つれてきたら信用しちゃるが、見たことも無いものを信じろと言われてもこまる。

本当の公表しちゃまずいんだろうか?170人の名前を公表したらどうなる?

子供はそれほど困らないよ。野球に期待してないもん。ただ「子供たちは皆、プロ野球選手にあこがれてる」と勘違いしている「おじいちゃんたちの夢」が壊れるかもしれない。でもべつにもう、大人なんだからいいんじゃないか?

巨人軍タブー事件史 江川のあれって日付変更線をつかったトリック?

巨人大鵬卵焼き。

巨人テレビで巨人戦を見て、相撲で大鵬が勝って、玉子焼きを食べていれば幸せだった(伝聞)。あの時代は戻ってこない。

三丁目の夕日のころは、子供と言えば野球なんだけど、今は子供自体が少ないうえに野球をしている子供の割合もすくない。だから最盛期の何分の一って人数しか野球をしていない。

すなおにオタクになったり、ゲーマーになったほうが楽しい時代であろう。

いま、野球少年になれるのは大雑把に分けると二種類の子供しかいない。

ひとつはオヤジが野球が好きで、家族のなかで「野球をすべき」空気が流れている場合。

もうひとつは「個人」に自信がなくて、チームの中でなら生きていけると思う権威主義的な性質の持ち主。平たく言えば野球部に入っていることで偉くなったような気がする子。

大体、このふたつがぐちゃぐちゃに混じっている、そんな感じ。 純粋な野球好きは希少種だね。

スポーツが純粋な世界だなんて、今の子供は思っていない。

昨日も柔道で、土浦日大から筑波大にすすんだ福見友子が勝ったのに、違う人がオリンピック代表に決まったでしょ? アレおかしい。ブランクのあるベテランのほうが「過去の経験がある」って代表になるんなら、若い奴はスポーツなんかしなくなるよ。

何でこうなるのかと言うと、”Y”には大手自動車メーカーがついるから。いや、正式な理由はベテランの経験値を上に見たからなんだけど、じゃあさあ、福見の10年後の経験値をいま上げてやろうとは思わんの?柔道連盟は10年先の心配ができない死に体のジイサンばっかりなのか?

普通ならさあ、若手に譲るでしょ。それが出来ないのはほかに理由があるからだと、素人探偵は勘違いしてしまうのだ。だから世間でまことしやかにささやかれているのは、スポンサー問題。代表選考で負けてももぎ取った”Y”についているコーチが必至だった説。

福見は所属が(筑波大)だもんなあ。コーチも所属が大学なら明日ご飯に困らないけれど、大手自動車メーカー専属のコーチだったら、ここで先行枠を落としたらお飯の食い上げだもんね。

そりゃ必至だろうさ。

柔道の”Y”も、どの面下げて代表枠に収まるんだろ?といぶかしく思っていると、夜中に「すぽると」にでてたよ。枠に収まって当たり前な顔をしていたよ。不快だったからテレビをすぐ消したけど。

あんな不透明なことをしていたら、再来年くらいは持つけれど、そのスポーツの20年後がなくなるとおもう。

心配しすぎですか?

だって、子供が柔道やりたいって言っても上があれだもん。「あの人は○○の所属だから負けても勝つんだよ」、なんてスポーツは親としたらやらせたくないね。むしろインドでカバディでもやって来いっていうね。あいつら数学が強いから判断も合理的だろう(しらねえけど)。

日本のスポーツ連盟は、20年後に責任取る気ぃあるんですかね。

野球だって柔道だって、スケートだって水泳だってなんだって、もう少し合理的な判断や透明性のある組織がやってるんなら、スポーツ好きの子供も増えるんだろうけど、今のあの状況を見たら、

「競技スポーツなんかしないほうがいいよ」

といわざるを得ない。インドの公用語でも勉強しなさいって言うかも。

ちなみに日本のスポーツは、ひも付きのときよりもスポンサーが自壊したあとのほうが強い。

トリノオリンピックも、スキー連盟の会長が例のあれじゃなくなった途端にショートスラロームで日本人選手が入賞してましたね。長い間の積み重ねの結果花開いたというよりもうるさいジイサンが引っ込んだとたんに選手とコーチがのびのびしたようにしか見えないんですが、そう見えるのはは僕の心が歪んでるからです。きっとそうです。

長野オリンピックがダメだった理由を「上」が原因だって言った人がいたんですが、あながち間違いじゃないのかもね。

上がすげ変わったとたんに入賞二人、欧州で歴戦の勇士が生まれちゃったような新しい時代が来たんだろうなあ。日本はずーーーっと貧乏だったから、企業に頭下げてスポーツをさせていただいている時代が長くて、スポーツがなんだか分からなくなってたんだと思いますね。

それが今、個人が勝手にスポーツをする時代になって強くなりつつあるんだと思う。男子バレーが廃れて女子フィギュアがメダルを取るのは、日本人のメンタリティが変化したからでしょう。

先日見た「男たちの大和」の台詞。

「アメリカは個人主義の国だから皆が集まって戦えない、だからいずれ降伏する」 (大意)

なんていってました。この時代の心があれば男子バレーも勝てたかもしれない。でも、もう時代は個人主義なんでしょう。日本は団結して戦える時代 を過ぎてしまいました。かといって個人主義?というには個人が弱くいまだ大企業中心の世の中です。

筑波大の福見選手が感じている理不尽さは私たちが何となく感じている日本社会の嫌な部分と同じものなんだと思います。「空気」の研究 (1977年)