西郷頼母

先週の「八重の桜」で観たことある風景がでてきました。白河口攻防戦の稲荷山という場所です。白河メガモールのベイシアとかカインズホームの北側で、どうりで観たことがある場所です。白河経由でスキー場に通うときに見てます。

兵力が三倍あるからといって奥羽越列藩同盟の主力である会津藩の西郷が、どうして白坂を押さえなかったよく分りません。

白河城を攻めるには主に二方向のルートが考えられます。ひとつは旧奥州街道から宇都宮那須方面より北上し白坂から白河の平地に出る方法。もうひとつは棚倉から北西方向に進軍する方法です。後続の部隊が宇都宮に居ること、白坂から攻めた時点ではまだ棚倉城が新政府軍に落ちていないことから白坂から上がってくるに決まっています。白坂までの旧奥州街道は左右が山で、防御側の仙台や会津が進軍してくる新政府軍攻めようと思えば攻められる場所です。白河の平坦地で戦闘するまえに、射程距離の差があまり関係無い山岳地帯の待ち伏せしておけば良かったんです。

小規模で連携できない部隊の頭数が多くても、十分に訓練された戦闘組織には勝てません。古い装備の奥羽越列藩同盟が軍事訓練をいくらやっても指揮官も兵卒も頭のなかまは古いままです。ゲリラ戦を展開しても多少時間がかかるだけで奥羽越列藩同盟側には勝ち目はなかったのでしょう。この故事にならい、古くさい組織は新しい組織には絶対に勝てないと考えてもよいでしょう。組織の構成員が古い場合は新しい戦法は絶対にとれません。こう考えるとリストラしている企業の中身はどうも、新政府軍というよりは列藩同盟の側にみえてきます。新しい方法を古い人間に学ばせる、謎の社内研修などもこれに該当します。

個人的には列藩同盟のほうが好きなんです。ただ、スキー場の上から白河の平地や会津平野をみていると、どうしてこれが守れなかったのか。司馬遼太郎の歴史にロマンを求めるセンチメンタリズムはどこかの企業の偉い人が好きなんでしょうけれど、私は戦術という理屈の面で物事を理解していこうと考えています。ひとつ分ったこと。上司が西田敏行になったら気をつけよう。

西郷頼母 – Wikipedia
姿三四郎の先生らしい。

白河口の戦い – Wikipedia 

http://yageki.k-server.org/aizusensou/aizu-sensou.htm

四斤山砲 – Wikipedia

西郷頼母が宮司を務めた馬場都都古和氣神社                        
福島県内最古の建物。いまは118号線が緩い形に改修されましたが、私がスキーに通い始めたころは神社の手前が直角のクランクで、冬のアイスバーンで良く車がスリップして壊れていました。往々にして神社のコンクリート柵に突っ込んでしまうので、所々補修された新しい柵が混在しています。古い道路はもっと神社よりでした。


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