本は読んでも分からないときがある

同じ本をぐるぐる読み直してます。昔は読み飛ばしてました。あるとき、供給量が足りなくなることに気がつきました。つまり本屋で買える本の量より自分の消費量のほうが多くて、どこかで読む本がなくなることに気がつきました。

本の出版点数は毎日200点くらいあると言われています。そのうち、自分にとって重要な本は一体何冊あるのでしょう?新刊で買った本はこの一年数えるほどになり、気まぐれに買った古い本を引っ張り出して繰り返して読むようになりました。そうしないと「読める本」が足りなくなるのです。

若いころは冊数を沢山読めば偉かろうと読み飛ばしていました。今思うと活字を目で追っただけで理解できてないかも。読んではいるけれど「分かっていない」のは、とてもみっともないことです。

本を買うかどうかは書き手との勝負でもあり、表紙をつくった装丁家との勝負であり、また、お財布との相談でもあります。一度買った本は「決断」を伴いますから読み手である私はその本を読む責任が生まれます。いまその責任と理解する義務を果たそうと思うようになりました。そしてぐるぐる同じ本を読むのです。

このサイトでも最初のころは書評をしていました。しかし、本当に身にしみた本のことをわざわざ言うのは恥ずかしい。かといってつまらない本について何か書くことはありません。もしかしたら作者の意図なんかこれっぽっちも分かっていないのに、アマゾンレビューで低い点数を付けたら噴飯ものです。そういったわけでこのサイトで本と本屋の話はするけれど、具体的な書名を書かないのは気恥ずかしいからなんです。あいつこんな本読んでるんだって思われたくない。

アマゾンの★2つくらいの低評価の本があっても、面白いときがあります。アマチュア書評家が本の内容を理解しないまま付けた★なのです。もしくはほんとにつまらないとき。

本というものは必要なときに必要な本を読むことが大切で、単純に自分の状況を無視して品評して点が付けられるモノではありません。だから自分に何が必要なのかを理解した上で本を読まないとただの修行になってしまいます。