オカルトと科学の違い

地震予知は出来るかもしれません。問題はデータの読み方です。流星観測用の電波観測データを観て、変化が起きていると騒ぐ人がいましたが、そりゃ、ふたご座流星群が起きればデータは乱れます。その乱れを定量化して解析できないならば、地震の予知には使えないわけで、データの解釈を定義していない時点でもうその観測の人はあんまり科学には向いていない人だと容易に断定できます。

ほかにも月の姿をみて、下弦の月と上弦の月を間違えて表記している方もいらっしゃいました。中学理科でならいますね。理科の教科書が2000年年台にずいぶん削られましたので、科学というものが分らなくなっているのかもしれません。ゆとり教育を悪いと言う人がいますが、べつにそれは内容の過多が問題ではなく、少ない内容ですら物を覚えていないことが問題です。

定量化したデータ、科学的な解釈ができるならば、個人の研究者でも発見はできます。同じデータをじっくり観ていくことで、ふだん私たちが気がつかないことを見つけるひとがいるかもしれません。ただ、その人はきっとオカルトよりの理科嫌いだった人ではなくて、マジメで派手なことを言わない科学好きの誰かです。その人が一体誰なのかは分りませんが、すくなくとも月の上弦下弦を間違うようなヤツではないことだけは確かです。

似非科学と科学の区別はどこからつくのでしょう。錬金術と化学は先生と生徒のような関係です。永久運動装置の開発は非常に魅力的です。機械工学と物理を育てた恩人かもしれません。近年脳科学という言葉を耳にします。そもそもそんな学問はあったのでしょうか。哲学、大脳生理学はありました。大脳生理学という言葉も実は妙で、正式には脳神経科学というみたい。

脳科学、大脳生理学とニューロサイエンス – ニューロサイエンスとマーケティングの間 – Being between Neuroscience and Marketing

脳科学につきまとううさんくささは、錬金術と似ています。