水戸のデパート

京成デパート

京成というと千葉の人は電車の京成電鉄を思い出します。茨城の真ん中くらいの人は京成デパートのことを指します。京成百貨店 – Wikipediaによると、以前は各地に京成百貨店があったのが、いまは水戸店だけになってしまいました。京成電鉄が作った百貨店のうち、最後に残ったのが水戸京成百貨店です。昔からあるデパートで老舗です。水戸駅前に丸井のビルが建つまでは独壇場だったのでしょう。ダイエー、ユニー、西武と水戸にも昔は百貨店がたくさんあったのです。

ユニー水戸店

90年台中盤に建物ごと無くなったのがユニー。テナント撤退後いっとき駐車場にしてみたり、活用も試みたのですが最終的には解体されました。なかなか大きな建物で壊す手間が大変そうでした。ちょうど丘の上にあり、水戸城の二の丸、いまの梅香トンネルの上あたりがユニーの跡地です。いまは平らにして駐車場になっています。建物を建てるには基礎からはじめねばならず、その先行投資をする人が現れない限りは更地のままでしょう。ユニーが撤退したのはたぶん90年台後半で、建物はそのあと10年くらい残っていていよいよどうしようもなくなって壊したように見えました。

言われてみると高島屋もありました。駅の北口を出て左手、バスロータリーの角にローソンがあります。そのローソンの建物が高島屋でした。あまり入った記憶はありません。いつの時代か知りませんが水戸に高い建物が無かった当時、唯一飛べる場所がそこと聴いたことがあります。たしかに駅ビルEXCELが出来るまでは高いビルはわずかです。

西友水戸店

水戸駅前に西友がありました。最後名前が変わってリヴィン。水戸駅から直接店舗に入る陸橋は市だか県の予算で作ったので撤退するなという意見がありました。いまの水戸駅があの形になる前はものすごい細い白い手すりの歩道橋が付いていて駅のロータリーも全く違う構造でした。たしか用もないのに道路を越えて向こう側に渡るメリットが全然無くて、西友が来る前がどんな風景だったのかいまひとつぼんやりしています。いまの丸井のある場所はパチンコ屋とツルヤの本屋があって、ツルヤ書店がウナギの寝床よろしく奥に深い構造でした。書誌の運送が鉄道を主としていた時代には品揃えも良かったのでしょう。川又書店のビルも元気で登りしかないエスカレーターで専門書コーナーに行くのが楽しみでした。

西友の1階に無印が入っていてそこにおいてあった24インチのスポーツ自転車が欲しかったのを覚えています。白いフレームに特注のブルフォーンハンドルがあこがれでした。いま乗るときっと転ぶのでやめておきます。ドロップハンドルやブルホーンは手足の長い人の余技で私には無縁です。

ダイエー水戸店

ダイエーはついこないだまで建物を壊していました。地下にロッテリアかなにかが入っていて、最後の記憶はそこでフライドポテトを食べたような。デパートが無くなったあとに上階にカルチャー教室が入っていて冷やかしに1度見に行ったことがあります。エレベーターは途中で降りられないように設定されていて、人が居るはずの上の階もガランとした空間だけが残っていました。解体最初の外壁を外す作業をたまたま見かけました。外板をとった屋上のコンクリートは遠目にみてもずいぶんきれいでした。まだまだ使えそうにみえますが、震災でどこか痛んでいれば補強が必要です。いまの耐震基準に合うかわかりません。コンクリートは保っても中の配管や暖冷房の機材も更新が必要ですからせいぜい30年くらいしか保たないのですね。

MIMO(旧ダイエー水戸店)階段(1) – 写真共有サイト「フォト蔵」

ダイエー水戸店閉店 写真

いま残っているのは京成百貨店と丸井水戸店です。どちらも本屋があるのでときどき入ります。丸井のほうは最初のころに比べて様変わりして、1階にアニメグッズのらしんばん 水戸が入り上の方に文教堂がワンフロア使い切っています。書店も大型化しないと生き残っていけない様子で小さくて使いやすいお店がなくなり、POSそのままで並べるぼんやりとした店ばかりです。ほしいものがきっと無い感じがイヤなので、欲しい本は取り寄せるようになってしまいました。京成水戸は丸善なのでときどき行きます。

紀伊國屋書店ウェブストア

ツルヤ書店の跡地も今建物の中を壊す準備をしています。中に小型シャベルカーが入っていました。ツルヤはいつの間にかなくなって大野屋が引き継いで最後なくなってしまいました。駅前の川又は駅ビルのほうに集中し、本体は茨城県庁の中に移動してしまい、かつてあったビルの登りだけのエスカレーターにもう乗ることはできません。