失敗したことを普遍化する

工作をサイト作りに生かそうと画策。失敗を積み重ねてそこからうまくいく方法を見つけるのか、それとも最初からうまく行く方法が分っていてやったのか。

最初から正しい方法なんてわかっちゃいませんからきっと失敗から見つけたはずなのに、いちど上手くできたことはまるで最初から答えがあってそれを作ったような気分になっています。脳みその中で自分のことを美化しているようで恐ろしい。

社会の成功者がする「苦労話」も苦労したときの話なんて成功したら忘れてしまうはずで、なんども話していると洗練されて偽の話をしているのではないかと邪推してしまいます。

うまくいったことを解釈して普遍的な方法に置換えたいのですが失敗したことは案外忘れてしまいます。工作に関しては設計図をまったく残していなくて簡単なメモをだけしかありません。工作に使った時間よりも設計に使った時間のほうが何倍も多く、その間に相当なにかを考えていたはずなのですが思い出せません。最初から正解をみつけてそこに突き進んではずもなく、失敗だらけだったに違いないのに、いちどきれいな正解がでるとそれまで検討した上手く行かないと使わなかった選択肢がまるで見えなくなります。

どうすれば目的をうまく消化できるのか。その方法を言葉で説明できれば工作以外にも応用が利くはずです。上手く出来るところへ向う道筋が一体いつ見えたのか。どうしてそれがうまくいくと分ったのか謎です。失敗なしで最初からその道筋が立つのでしょうか。そんな簡単ではありませんね。

うまくいくにはどういう手続きが必要になるのかを考えてみて、うまく応用ができそうならばサイト制作や料理、その他の遊びに生かそうかなとおもっています。